
サヌア:15日、サウジ主導の連合軍とイエメンの親イラン民兵組織フーシ派の間の国境を越えた戦争捕虜交換の一環として、サウジ人を含む多数の捕虜が解放された。赤十字国際委員会(ICRC)が発表した。
イエメンの8年におよぶ内戦の終結に向けた期待を高めている和平交渉のさなか、数日間にわたる約900人規模の捕虜交換の一環として航空便がイエメンのフーシ派支配地域とサウジアラビアを結んだ。
ICRCの広報・メディア顧問であるジェシカ・ムッサン氏によると、この日の最初の航空便は捕虜となっていたフーシ派関係者120人を乗せて午前9時(GMT6時)前にサウジ南部の都市アブハーを出発し、イエメンのフーシ派支配下の首都サヌアに向かった。
その後、20人の元捕虜(うち16人はサウジ人、3人はスーダン人)を乗せた航空便がサヌアを出発した。
スーダンはサウジ主導の連合軍に参加しており、戦闘のために地上部隊を派遣している。
さらに100人のフーシ派関係者が紅海沿岸のモカ(連合軍が支援するイエメン政府が支配する町)からサヌアへと3便に分けて移送される予定となっていた。
アブハー駐在のAFP記者によると、少なくとも3台のバスがアブハー空港の滑走路に捕虜を運んだ。同空港は以前、フーシ派のドローンやミサイルによる攻撃を受けた。
バスの近くには、一部の捕虜を飛行機まで運ぶための車いすが用意されていた。
14日には318人の捕虜が政府支配下のアデンからサヌアへと4便に分けて移送され、来週のイスラム教の祝日イード・アル・フィトルを前に家族との再会を果たした。
双方における戦争捕虜の総数は不明だ。
現在行われている捕虜交換は、イエメン内戦終結に向けた集中的な外交努力と平行した信頼構築のための措置である。この内戦は戦闘で数十万人の死者を出しただけでなく、食料不足や医療へのアクセス困難などの波及効果ももたらした。
アナリストの見方では、サウジアラビアはフーシ派を粉砕するために8年にわたって連合軍を動員した末に、その目標は達成できないという事実を受け入れ、軍事的関与を縮小しようとしているのだという。
内戦勃発当時は29歳で国防相だったムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下は、その後サウジアラビアの事実上の統治者となり、包括的な国内改革アジェンダ「ビジョン2030」に力を入れている。
サウジのイエメンからの撤退戦略は、先月発表されたイランとの画期的な和解合意から新たに勢いを得ているように見える。
中国の仲介のもとで結ばれたこの合意は中東の大国である両国が7年にわたる断交を終わらせ国交を完全に回復するとしており、地域における諸関係が再構築される可能性がある。
サウジアラビアはイランの同盟国シリアをアラブ連盟に再加盟させることも推進している。シリアは10年以上前、バッシャール・アサド大統領が民主化デモを残忍に弾圧したため同連盟から追放された。
AFP