
ベイルート:スーダンから退避してきたレバノン人とパレスチナ人の2つの避難者グループが、25日にベイルートに飛んだ。
避難者はジェッダからミドル・イースト航空の2便に搭乗し、ベイルートのラフィク・ハリーリ国際空港に到着した。
レバノン人12人を乗せた第1便が午後3時に、乗客32人(うち12人はパレスチナ人)を乗せた第2便が午後11時に到着した。
ラフィク・ハリーリ国際空港ではその避難者を、ベイルートのアブドラ・ベンハビブ暫定外相、ファウジ・カバラ駐サウジアラビア・レバノン大使、高等救援委員会事務局長のムハンマド・ハイル少将が出迎えた。
24日、ビジネスマンとその家族を含むレバノン人の一団がスーダンから避難した。
ベンハビブ氏は、避難プロセスは繊細で骨の折れる作業だった述べ、スーダンからの退避を支援してくれたサウジアラビアの努力を称賛した。
「避難プロセスの第1段階は、ハルツームからポートスーダンまでの避難を引き受けてくれたアラブ首長国連邦の支援のおかげで成功し、ポートスーダンからレバノンまでの第2段階はサウジアラビアが引き受けてくれました」
さらに、「避難したレバノン人に提供してくださった支援に感謝しています。特に、レバノン人を優先してくれたサウジアラビアに感謝します。ヨルダンも援助を申し出てくれましたが、その能力には軍用機の観点からは限界があります」とも語った。
避難者は、ポートスーダンからサウジアラビア海軍の船でジェッダに移送された。
ベンハビブ氏は、「これまでのところ、パレスチナ人を含む約60人のレバノン人を退避させました。私たちはレバノンに来ることに反対はしませんでしたが、4人のシリア人がサウジアラビアにとどまることを決め、サウジアラビアは彼らに丸1か月滞在できるビザを提供しました。もしまだスーダンで身動きがとれないレバノン人がいれば、避難の手配をしますので、連絡をいただければと思います」と訴えた。
ポートスーダンに移動した駐スーダンのレバノン大使のディマ・ハダッド氏は、ベイルートに避難させる最後のレバノン人一団とともにレバノンに戻る予定だ。
「16人のレバノン人を含む退避者の一団がハルツームを出発しましたが、まだポートスーダンに到着しておらず、私たちはその到着を待っています」
スーダンで暮らすレバノン人は100人ほどで、その大多数がビジネスマンとその家族だ。ハルツームで戦闘が勃発したとき、ベイルートでイード・アル・フィトルの休暇を過ごしていた人もいた。
退避プロセスは23日の明け方に始まり、スーダンで暮らすレバノン人はハルツームのロタナホテル前に集まり、陸路でコーラルポートスーダンホテルへ向けて出発した。これは危険と隣り合わせの数時間の旅である。
ハイル少将は、「避難者のほとんどは、スーダンのさまざまな企業で働くビジネスマンや従業員です」と説明した。
妻と子供と一緒に帰国したレバノン人のハッサン・アティアさんは、ハルツームの状況を「恐怖」と表現した。アティアさんによると、ハルツームからポートスーダンまで18時間かけて移動する間に、いくつかの道路封鎖に遭遇したという。
また、別の避難者は、レバノン人ビジネスマンがハルツームに残した財産や金銭が危険にさらされるようになったことを懸念している点を指摘した。
レバノンのナジーブ・ミカティ暫定首相は、サウジアラビアのサルマン国王とムハンマド・ビン・サルマン皇太子に対し、「サウジアラビアがレバノン人退避者に提供した特別な配慮、サウジアラビア外務・国防省の努力、そしてレバノン人の避難と安全な帰還に貢献したすべての人」に感謝の意を示した。
ミカティ氏は、「サウジアラビアは、これまでも、そして現在も、あらゆる状況において、レバノンとレバノン人の最高の支援者です。あらゆる宗派のレバノン国民は、サウジアラビアがレバノンに示してくれた愛情を、感謝と忠誠の証としてお返しできることを望んでいます」と語った。