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イスラエルはガザの語り部を殺しても、物語を殺すことはできない

戦争が始まって以来、少なくとも75人のパレスチナ人ジャーナリストやメディア関係者がイスラエルによって殺害された。(AFP)
戦争が始まって以来、少なくとも75人のパレスチナ人ジャーナリストやメディア関係者がイスラエルによって殺害された。(AFP)
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12 Dec 2023 07:12:52 GMT9
12 Dec 2023 07:12:52 GMT9

ガザで起きていることは、歴史の教科書の題材にうってつけだ。長い間、残忍な包囲下にあった小国が、世界有数の軍事大国と対峙するという叙事詩的な物語である。それでもなお、ガザは打ち負かされない。

レフ・トルストイの『戦争と平和』に出てくる登場人物たちの伝説的な不屈の精神でさえ、今日のイスラエルによる大量虐殺のはるか以前から、災難の崖っぷちに立たされながら小さな土地で生き延びてきたガザ住民のヒロイズムとは比較にならない。

しかし、もしガザが2020年の時点で国連貿易開発会議によって事実上居住不可能と宣言されていたのだとしたら、それ以降に起こったすべてのこと、特に10月7日に始まったイスラエルによる過酷で前代未聞の戦争に、この地区はどうやって対処してきたのだろうか。

「私はガザ地区の完全包囲を命じた。電気も食料も燃料もなく、すべてが閉鎖される」とイスラエルのヨアフ・ガラント国防相は10月9日に述べた。実際、イスラエルは230万人を窒息させるよりもはるかに大きな戦争犯罪に手を染めてきた。

「病院や学校も含め、安全な場所はない」と国連人道問題調整事務所は11月11日、Xに投稿した。この声明が出されて以来、事態ははるかに悪化している。

そしてガザの人々が故郷を離れることを拒んだために、365平方キロメートルのこの地区は人間の狩場と化し、人々は想像しうるあらゆる方法で殺されている。自宅の瓦礫の下で死なず、ある地域から別の地域へ脱出しようとして攻撃ヘリに銃殺されなかった人々も、今や病気と飢えで死につつある。

イスラエルは、ガザで自ら行っている戦争犯罪の規模を十分に認識しているため、地区の語り部たちを組織的に標的にしてきた

ラムジー・バロード

子ども、女性、教育者、医師や医療従事者、救助隊員、さらには芸術家や詩人など、パレスチナのいかなるカテゴリーの人々もこの恐ろしい運命を免れていない。これらのグループのそれぞれが、日々更新される犠牲者の名前のリストを持っている。

イスラエルは、ガザで自ら行っている戦争犯罪の規模を十分に認識しているため、ガザ地区の語り部であるジャーナリストやその家族、ブロガー、知識人、さらにはソーシャルメディアのインフルエンサーまでも、組織的に標的にしてきた。

パレスチナ人が、自分たちの集団的な痛みと抵抗をテレビで放映するべきだと主張する一方で、イスラエルは語り部を消し去るために可能なあらゆる手段を取っている。

パレスチナジャーナリスト組合は先週の声明で、戦争が始まって以来、少なくとも75人のパレスチナ人ジャーナリストやメディア関係者がイスラエルによって殺害されたと述べた。ここには、必ずしも公的な立場で活動しているわけではない多くの市民ジャーナリストや作家は含まれていない。また、ジャーナリストのワエル・ダフドウ氏やモアメン・アル・シャラフィ氏の家族など、ジャーナリストの家族も含まれていない。

知識人がイスラエルの標的になっていることを自覚しているガザの人々は長年、より多くの語り部を生み出そうとしてきた。2015年、若いジャーナリストと学生のグループが「私たちは数字ではない(We Are Not Numbers)」を結成した。このグループは、「ニュースで伝えられるパレスチナ人の数の背後にある物語を伝え」、彼らの人権を擁護することを目的としている。

We Are Not Numbersの共同創設者であるレファアト・アラレア(Refaat Alareer)教授は、ガザ出身のパレスチナ人教育者として敬愛されていた。若い知識人であり、思いやりと才能を兼ね備えていた彼は、パレスチナ、特にガザの物語は、パレスチナ人自身によって、パレスチナの言説と関係の深い人々によって語られるべきであると信じていた。

「ガザが生き延びようとあえぎ続ける中で、私たちはガザが切り抜けられるように格闘し、反撃し、その物語を語るしかない。パレスチナのために」と、アラレア氏は『ガザの光:炎から生まれた物語(Light in Gaza: Writing Born of Fire)』への寄稿文に書いている。

彼は、『ガザはペンで反撃する(Gaza Writes Back)』、『ガザは沈黙しない(Gaza Unsilenced)』といった複数の本を編集しており、その仕事を通じてガザに住む他のパレスチナ人知識人のメッセージを世界に発信してきた。

「祖国が物語になることもある。その物語が祖国についてのものだからこそ、私たちはその物語を愛し、その物語によって、祖国をより愛するようになる」と彼は”Gaza Writes Back”の中で書いている。

アラレア氏は、イスラエルがガザ北部をガザの他の部分から隔離し、数え切れないほどの虐殺を行った後も、そこを離れることを拒んだと伝えられている。そして、自分を待ち受ける運命を知っているかのように、自分が書いた詩とともに、このような一行をツイートした。「もし私が死ななければならないなら、それが物語となるように」

12月7日、We Are Not Numbersは、親愛なるこの共同創設者がイスラエルの空爆で死亡したと発表した。

イスラエルによって殺害された作家集団のメンバーはアラレア氏だけではない。ユセフ・ダワス氏は10月に、モハメド・ザヘル・ハモ氏は11月に、それぞれの家族とともに、イスラエルがガザ各地で行った空爆の犠牲となった。

戦争前に私がこのグループと行ったワークショップの中で、ダワス氏は際立っていた。非常な長髪だからというだけでなく、彼の質問が知的で鋭いものだったからだ。彼は普通のガザの人々の物語を語り、世界中の普通の人々にパレスチナ人の日々の闘い、正義への正当な要求、より良い未来への希望を理解してもらうことを望んだ。

これらの語り部は皆、イスラエルによって殺害された。イスラエルは、物語も彼らとともに消えることを望んだのだ。しかし、イスラエルは失敗するだろう。人々の共同の物語は、常に我々全員を合わせたより大きな存在だからだ。ガッサン・カナファニ、バジル・アル・アラジ、そしてアラレア氏のような人々を世に送ってきた国民は、パレスチナとその解放の物語を語るという歴史的役割を果たす偉大な知識人をこれからも常に生み出すだろう。

これは、アラレア氏が共有した最後の詩である。「もし私が死ななければならないのなら、あなたは生きなければならない。私の物語を語り、私のものを売り、一枚の布と糸を買うために(白い布に、長いしっぽを付けて)。ガザのどこかで、炎の中で—誰にも、自分の肉体にも、自分自身にも別れを告げずに—消えてしまった父親を待ちわびて空を見上げる子供がその凧を見つけられるように。あなたが作った私の凧が頭上高く舞い上がるのを見て、少しの間そこに天使が現れて、再び愛情を送ってくれたのだと思うことができるように。もし私が死ななければならないのなら、そこに希望が生まれ、それが物語となるように」

  • ラムジー・バロード氏は中東をテーマに20年以上執筆している。国際的に配信されているコラムの著者兼メディア・コンサルタントで、数冊の著作があり、PalestineChronicle.comの創設者でもある。X: @RamzyBaroud
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