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サウジアラビア建国記念日において統一と統合の教訓

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22 Sep 2022 06:09:55 GMT9

9月23日に、サウジアラビア国民は建国記念日を迎え、90年前に祖国が再統一されたことを祝う。

1902年のリヤド解放から1932年の統一宣言に至るまで、アブドルアジーズ・イブン・サウード国王は砂漠の戦士からなる強健な軍隊を率いて領土を統一し、12ほどに分裂して戦っていた侯国を1つの大国にまとめ上げたが、その大きさはドイツの6倍以上でアラビア半島の約70%を占める。

その急速な統一は非常に限られた手段で達成されたものだった。石油は1938年までサウジアラビアで発見されず、国庫の多くを占めるようになるのは第二次世界大戦後のことだった。1932年に、サウジアラビアの国家予算はわずか4百万ドルだった。90年後に2千5百億ドル以上となった現在の予算額と比べてみよう。

リヤドを奪還して以来、だが特に再統一から90年の間に、サウジアラビアは政治的に不安定な貧しい僻地から経済大国へと変貌し、地域では最大の、そして世界では18位の経済国となった。

同国の国内総生産(GDP)は1932年の約1200万ドルから2022年の1兆ドル以上へと増大し、この90年間で8万倍以上の増加だった。

王国の経済的な富が目覚ましい成長を遂げた一方、健康指標は大幅に好転した。たとえば平均余命は1932に40年以下だったのが現在は75年以上に伸びた。識字率も劇的に向上し、1932年には1桁だったのが97%以上になった。その他ほぼ全ての社会指標も同様に改善した。

アラビア中心部での地域安全保障の変革はアブドルアジーズ国王の最も長期にわたる功績の一つである。サウジアラビアの統一以前は、部族間闘争や盗賊がほぼ全ての地域にあったので通行や交易が困難だった。政治や治安情勢を支配していた封建領主や部族の間では内紛が当たり前だった。そのような内部抗争すべてに終止符を打てたのは、国王の最も特筆すべき遺産の一つだった。

アブドルアジーズ国王の成功は、彼が直面していたオスマン帝国とその代理勢力からの強い反対に照らせば、特に目覚ましいものだった。

アラビア中心部での地域安全保障の変革はアブドルアジーズ国王の最も長期にわたる功績の一つである。

アブデル・アジーズ・アルウェイシグ

オスマン帝国はサウジアラビアの東西両岸を支配し、国内各地に多数の駐屯地を置いていた。内陸部では、大宰相府が武器と資金を供与して隷臣を養っていた。首都リヤドは代理勢力の一つに占拠されていたため、アブドルアジーズ国王はこれを排除する必要があった。

イギリスも再統一に疑いの目を向け、自国の勢力範囲に再統一という新たな精神が入り込むのを食い止めようとした。ロンドンの足跡は地域全体に残り、アラビア湾岸、イエメン北部、そして第一次大戦後にはイラク、ヨルダンなど各地に及んだ。

アブドルアジーズ・イブン・サウード国王はイギリスやトルコとの大規模な直接対決を巧みに避け、国家統一計画に注力した。彼を突き動かしていたものには、彼の一族の支配と名誉を回復する願望もあった。イブン・サウード国王の先祖たちが1727年に首長国を打ち立てたディルイーヤは、リヤドのすぐ北にある小さな村だった。

それから二〜三十年の間で、アラビア半島のほとんどを支配下に置くまでに拡大したが、その後オスマン帝国が遠征軍を送ってこの動きを制圧し、流血の戦いを繰り返した挙げ句、1818年にディルイーヤを破壊した。

首都陥落の後、サウード家の支配を回復しようと試みたが、オスマン帝国がこのような動きにしつこく反対してくるのと戦わなければならず、特に1890年にこの地の代理勢力が新首都リヤドの奪取に成功したとき、アブドルアジーズ国王の父は家族と共に亡命を余儀なくされたが、このとき屈辱の光景を目にした十代のアブドルアジーズ国王が、そこから影響を受けたのは疑いない。

12年後にアブドルアジーズ国王がリヤドへ凱旋した話は伝説となっているが、そのとき国王は30人ほどの仲間と共にオスマン帝国隷臣の最後の一人を街から追い出して国の統一を開始し、街を一つ一つ引き入れて、1932年9月23日に統一宣言の日を迎えると、国王の英雄的な努力を称え、その広大な領土をサウジアラビア王国と改名した。

サウジアラビア建国記念日には、祖国の統一に至る出来事を家族で追体験し、王国が多様な地域を統一し統合して得た果実を祝うのが普通である。

その物語を語り直すとき、家族が子供に伝えたい大切な教訓が少なくとも3つある。第一は、アブドルアジーズ国王の政敵は数で勝り武器や資金も豊富だったにもかかわらず、彼は成功を勝ち取ったということだ。

彼を突き動かしていたのは強い野心と決意で、それが力の差を埋め合わせたのだ。彼は数々の戦いに敗れ、時には自身も重傷を負ったが、仲間をまとめ直して次の戦いに臨むことができたので、最後には勝利したのだ。

第二は、彼は力だけに頼ったのではなく、合意形成に長けた有能な外交家だったので、敵を仲間に引き入れることができた。彼はできるかぎり昔の政敵を赦し自軍に登用した。よく知られた例では、ある部族の長が彼を繰り返し裏切ったにもかかわらず何度も赦した。

だが最も重要な教訓が統一と統合の果実なのは確かだ。年長の人々が特に感謝するのはこの国の治安の変化で、何世紀にもわたる恐怖と無法が終わり、人と物が王国中を自由に安全に往来できるようになった。

若い人々が成長する富と地位を享受するこの国は、90年前は物質的な富はほとんど無く辛うじて生活している僻地だったところから、世界有数の経済国へと変貌を遂げた。もちろん石油はこの物語の一部だが、それは一部にすぎない。

アブデルアジーズ・アル・ウェイシグ博士はGCC事務局長補で政治問題と交渉を担当し、アラブニュースのコラムニストでもある。この記事が表明する意見は個人的なもので、必ずしもGCCの意見を代表するものではない。ツイッター:@abuhamad1

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