私はめったに怒りの文章を書かない。しかし、イスラエル軍が飢餓に苦しむパレスチナ人に銃を向け、112人が死亡した29日の殺戮を見聞きし、そして世界の偽善を目の当たりにするにつれ、私の心にあるのは怒りと、そして西洋における道徳の恥知らずな喪失に対する嫌悪感のみである。
イスラエルはこれらの犠牲者を「暴徒」と呼んだ。飢えた女性や子どもたちは「暴徒」に成り下がったのだ。当初、イスラエル人は虐殺を認めようともしなかった。その後、衝撃的な真実が明らかになるにつれ、彼らは発砲の事実自体は認めざるを得なくなった――いつものように、被害者に罪を被せながら。犠牲者は「脅威」をもたらしたから撃たれたのだ。彼らが発砲の事実を認めるまで12時間近くかかったが、もちろん彼ら自身の責任追求からは免れた。
これでもまだ嫌悪感を抱かないのであれば、次に起きたことならどうだろう。それは西側諸国、特に米国の偽善的な反応である。自由の国の大統領であり、西洋文明の輝かしい灯台であるとされる米国のジョー・バイデン大統領は、非難を表明することさえできなかった。彼が語ったことといえば、この「インシデント」がイスラエルとハマスの停戦協議を複雑にするだろう、ということだけだった。パレスチナ人はもはや人間として扱われないどころか、単なる取引上の「通貨」に過ぎないのだ。
実際、イスラエルの高官がパレスチナ人を「通貨」と呼んでいるのを聞いたことがある。パレスチナ人は彼らにとってどうでもいい存在であり、我々アラブ人も彼らにとってどうでもいい存在であることは分かっている。しかし、彼らはどのようにして自国民と向き合うのだろうか?どのようにして自国民を納得させるのだろうか?自国民に何を伝えるのか?彼らがどのように事実を隠蔽しようとしても、すべては明らかだ。衛星画像があり、虐殺の現場にいた人々による証言がある。それは非常に明白だ。しかし、バイデン氏には、それを虐殺と呼ぶ勇気さえない。シリアやイラン、ロシアが同じことをしたら、どんな反応を示しただろうか?虐殺、殺戮と呼ぶことを少しでもためらうことはあっただろうか?しかし、パレスチナ人112人の命が残忍に奪われた出来事は、人質取引を複雑にしたり遅らせたりする「インシデント」でしかない。
米国は、ガザに何カ月も閉じ込められている哀れなイスラエル人のことを気にかけているが、イスラエルの刑務所で消耗しているパレスチナ人の女性や子どもたち、起訴も有罪判決もされずに投獄されている何千人もの人々、イスラエルの刑務所でレイプされた女性たち、石を投げただけで何年も投獄されている子どもたちのことは、誰も話題にしない。パレスチナ人である以上、もはや女性でも子どもでもなく、人間ですらなく、ただの「通貨」であり、それもイスラエルから見れば安物の「通貨」だからだ。
西洋の政治家は、パレスチナ人に嘘をつき、我々アラブ人にも嘘をつき、そして自分たちの国民にも嘘をつく。
ダニア・コレイラット・カティブ
西洋の主流メディアの報道はおとなしいものだ。たとえばCBSは、イスラエルが「発砲したと非難されている」 と伝えた。信じられるだろうか?事実ではないことでイスラエルが非難されている?ロイターの見出しはこうだ。「援助を求めていた100人以上が殺された」。どうやって殺されたのか?誰に?自分たちで撃ったのだと信じろとでも?
メディアは事実すら報じないばかりか、いつも「ハマスが運営する保健省によれば」という修飾語をつけて、人々の心に疑念を植え付けようとしている。29日にはバイデン大統領でさえ、死者の数についての疑念を表明した。ガザの保健省は、イスラエル軍よりもはるかに信頼できる実績を持っている。米国メディアは、信頼性が著しく低いとされるユダヤ人埋葬慈善団体「ZAKA」の主張を事実として報じ、10月7日のハマスによるイスラエルへの攻撃についてのオンラインでの嘘を広めさえした。BBCは、ガザでのパレスチナ人の死者3万人という数字を、あくまでハマスによるものだと主張し続けている。彼らは、ロイド・オースティン米国防長官が、イスラエルは開戦以来、ガザで2万5000人のパレスチナ人女性と子どもを殺害していると発言したことには気づいていないようだ。イスラエル自身も、8000人以上のハマスの戦闘員を殺したと主張している。簡単な計算をしてみてほしい。
西洋の政治家は、パレスチナ人に嘘をつき、我々アラブ人にも嘘をつき、そして自分たちの国民にも嘘をつく。国民はもはや彼らを信じていない。怒りは広がっている。英国では、先月27日に行われたイングランド北部の補欠選挙で、ガザに焦点を絞ったキャンペーンを展開した破天荒な政治家ジョージ・ギャロウェイ氏が、すべての主要政党を破って当選した。アメリカ人は動揺している。自分たちの税金が大量虐殺の資金源になっている、しかも「文明」的であるために、という名目だ。なんと皮肉なことだろう。イスラエルは中東唯一の民主主義国であり、「野蛮なテロリスト」に対抗しようとしているということだ。バイデン大統領とその一派はパレスチナ人から人間性を奪うことはできるが、彼ら自身の国民を説得することはできるのだろうか?ミシガン州の大統領予備選挙での未投票者数を見れば、人々が偽善にうんざりしていることがわかる。
先週、若い米空軍兵であるアーロン・ブッシュネル氏がワシントンのイスラエル大使館前で焼身自殺した。恥知らずなメディアは、彼を不安定な、迷える魂として描こうとした。ワシントン・ポスト紙は、彼には無政府主義者の過去があると伝えた。彼らには良識がないのだろうか?彼の友人は、アーロン氏は自殺を考えていたのではなく、自分の命を正義のためのメッセージとして使いたかったのだと語った。米国メディアの報道とその公式見解は、ガザ市民とパレスチナの人々を軽視するだけでなく、パレスチナ人や正義を支持する自国の市民を軽視しているのだ。正義を支持することは、西洋の原則に根ざしている概念ではなかったのか。どれほど皮肉なことだろうか?彼らは世界に偉大な西洋の価値観を説教するが、自ら、最初にそれらをゴミ箱に捨てたのだ。彼らは人間の平等を説くが、私たちが目にするのは不平等の崇拝である。
冒頭で述べたように、私はめったに怒りの文章を書かない。しかし、時には他に選択肢がないこともある。