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ひとたびの機会を平和に――暴力の連鎖を終わらせるために

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21 Sep 2020 06:09:16 GMT9
21 Sep 2020 06:09:16 GMT9

アラブ首長国連邦(UAE)とイスラエルがこのほど交わした和平協定については、たいていのアラブ人にとって批判は容易だ。とりわけ、長らくたがいに憎しみあってきたイスラエルとパレスチナのことを思えばなおさらそうなる。それに引き換え、今回の合意のうちに存在する光明のほうはずいぶんと見えにくい。これは本来なら、1940年代からずっとパレスチナ人とイスラエル人の関係を支配してきた恐怖・憎悪・暴力に取り巻かれた力学、そしてそれがゆえにいまだパレスチナが国家たりえない力学を一変させかねないものであるにもかかわらず。

イスラエルの政治を突き動かす原動力はパレスチナ人およびアラブ人に対する恐怖だった。1948年のイスラエル建国前まで時計の針を戻すことをパレスチナ人は望んでいる、とみる向きは多い。パレスチナとの妥結を支持しそこへ向けて戦ってきたイスラエルの活動家や指導者らもいた。が、その努力は平和に反対する過激派勢力による暴力行為によって不首尾に終わった。

だが、正義や法の支配や公正さを軸とした真の平和を支持するイスラエル・パレスチナ双方の者たちが過激思想に酔う者や暴力的な過激主義者に取って代わることができるなら、あの短かったとはいえ希望に満ちた雰囲気を取り戻すことも可能なはずだ。すなわち、周囲が敵だらけの聖書の地にイツハク・ラビンとヤースィル・アラファート(ヤセル・アラファト)が手を結ぶことでもたらした1993年当時のあの希望だ。

ホワイトハウスの芝生の上で手を握りあうラビンとアラファトの姿。過激派勢力は、その日実際に取り交わされた和平協定そのものよりも、はるかにその映像のほうにおびえたのだ。

それはとりもなおさず、イスラエルとパレスチナがたがいに敬意を示すことができるのならば、平和協定などというものを交わすまでもないということになるからだ。たがいを尊重する者同士はたがいを公平かつ正しくあつかうものだ。そんな環境がいまも続くことを許されてさえいれば、いまごろわれわれは2つの国家を目にしていたはずだ。

だが1995年、イスラエルの過激派イガール・アミルがラビンとアラファトが作り上げようとしていた平和のムードを破壊するため、ラビンの暗殺という挙に出た。イスラエルとパレスチナの和平プロセスを混沌状態に陥れたこのアミルに先立ち、実はすでに1994年2月25日に別の狂信的ユダヤ人入植者バールーフ・ゴールドシュテインが自動小銃を持ち出してヘブロンにあるイブラヒミモスクに突入するという事件もあった。この一件では礼拝中のイスラム教徒29人が虐殺され、負傷者も125人出た。

いま、パレスチナという国家はない。その理由は、イスラエル・パレスチナ双方の過激派勢力が弁舌を弄しテロに走ってこれを妨げてきたからだ。

レイ・ハナニア

ハマスはこれに自爆テロで応酬し、のちにこうしたテロの連鎖を呼んだ。アフーラのバス停で8人のイスラエル人を殺害したのだ。ハマスによる自爆テロは、イスラエルとの和平に反対する過激派抵抗運動に欠かざるものとなった。

ハマスによる暴力は次にはイスラエルの過激派勢力を勢いづかせた。国民の間に怒りが広がるとこれを利用して政権を掌握し、権力はラビンの穏健派からベンヤミン・ネタニヤフとアリエル・シャロンらが指揮する過激派勢力へと揺れ動いた。この2人はリクード創設者のメナヘム・ベギンの弟子筋に当たる。ベギンは元テロ組織の指導者で、民兵組織「イルグン」を率いていた。この組織は1948年にダイル・ヤースィーン(デイル・ヤシーン)で100人以上の民間人を殺戮している。

憎悪のムードを醸成し結果的にアミルが夫を殺害する契機とした。ラビンの未亡人レアはそう語ってネタニヤフを難じた。そのネタニヤフは1996年に首相の座に着く。

1953年にヨルダン川西岸地区のキビヤで大人や子供69人の殺害を命じたことで名を馳せたシャロンは2001年にネタニヤフの後継となった。ネタニヤフは2009年に首相に再任、以来ずっとその座にとどまる。

両者は持てる権力をすべて使い、ラビン=アラファト協定の骨子をなきものにし、二国家を軸とする和平を阻止した。その結果醸成されたのは、排除と急進の思想だ。

イスラエルにも暴力をあおった等分の責任はある、とみる余地があるからこそ、UAEとイスラエルの国交正常化をアラブ人も批判しやすくなるのだ。実際のところは、今にいたるもパレスチナ国家が存在しない理由は、双方の過激派勢力が弁舌を弄しテロ行為におよんでこれを阻止してきたからだ。過激派勢力ではなく、平和を望む明晰な頭脳の穏健派勢力が実権を握っていたなら。考えるまでもあるまい。

UAE外務省政策企画局長ジャマール・アル=ムシャラフ氏は先週まさにそうした話し合いの場を持っている。そこで開陳されたビジョンは、パレスチナとイスラエルの紛争を消耗戦としてきた暴力行為を終わらせ、双方の過激派勢力を排除するために平和的な環境づくりをおこなおう、というものだ。

それでもUAEの決意には賛同しかねる、という向きもあるかもしれない。が、たった一度のチャンスも与えずにおこうというのだろうか。この72年間、アラブ人はみずからのやり方でイスラエルの暴力に対してきた。が、徒労であった。パレスチナの理念に義あることは暴力によって曇らされてきた。そうして、パレスチナ人は真の平和など求めていない、などという誤った認識がそれに取って代わった。私が言いたいのはそういうことだ。

暴力がいつの日か勝利をもたらし何もかも掌握できる、と過激派勢力が信じつづけるのは勝手だ。与太話にすぎないそんな的外れの信念であっても、怒りと憎悪に油を注ぎ、もはや暴力しか取れる選択肢はないかのように思わせているのだ。暴力だけが選択肢なのではない。が、悲しいかなPRがまずいためパレスチナ人はこうした暴力の重荷を背負わされているのだ。

新たな平和のムードを造成することがかなえば、過激派勢力を押しのけることもできはしまいか。そうしてラビンとアラファトの精神を受け継ぐ穏健派に実権を握らせ、パレスチナ人とイスラエル人とがともに分かち合いともに尊重し合う二国家の環境のもとで共住する未来も築けるのではあるまいか。

暴力にはもういやというほど機会を与えてきた。次は平和にチャンスを与えて悪いという法もあるまい。

  • レイ・ハナニア氏は、実績ある元シカゴ市報道局政治部記者でコラムニスト。連絡は個人サイト(www.Hanania.com)まで。
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