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新世代のパレスチナ人が爪痕を残した2021年

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01 Jan 2022 05:01:27 GMT9
01 Jan 2022 05:01:27 GMT9

2021年が始まった当初は、イスラエルの無慈悲な占領とパレスチナ人の苦しみが続く普段と変わらない年がまたやってきたようだった。その大部分は真実であったが、イスラエルによるパレスチナ占領の力関係はパレスチナ民衆の過去に類を見ないほどの団結感の挑戦を受けることとなった。これはガザ地区とヨルダン川西岸の「占領地域」に限られたことではなく、歴史的に「パレスチナ」と呼ばれてきた地域のパレスチナ人社会においても同様であった。

近年続いていた絶望感の蔓延がようやく慎重な希望の広まりに取って代わられた。それと共にパレスチナでは再生への期待や新たな政治思考を受け入れる意欲も育まれている。例えばエルサレム・メディア・コミュニケーションセンターが実施し11月22日に結果が発表された調査によれば、ヨルダン川西岸のパレスチナ人の間では「一国家解決」を支持する人々の数が数十年間にわたってパレスチナ人の主流的考え方であり、もはや実効性を持たない「二国家解決」を支持する人々の数を上回っている、という。

だがやはり2021年は引き続き新型コロナウイルス感染症によるパンデミックに焦点が当てられる年であった。このウイルスは特にガザ地区の包囲・占領下にあるパレスチナ人に対して猛威を振るっただけでなく、パレスチナ人の受刑者の間でも広まり始めた。

2月にパレスチナ自治政府と国際人権団体はイスラエルが包囲下にあるガザ地区で新型コロナウイルスのワクチン接種許可を拒否しているとして非難した。このワクチンは各国で初めてパレスチナにおけるパンデミック対策に名乗りを挙げたロシアによって寄付された「スパートニクV」だった。パレスチナ人社会では後になってCOVAX(コバックス)の活動によってもたらされたワクチンの接種をようやく徐々に受けることができるようになった。だが占領地域はパンデミックの猛威にさらされ続けた。イスラエル当局がパレスチナによる予防対策の妨害を続け、臨時で設けられた新型コロナウイルス感染症対策施設を閉鎖していったことがこれに拍車をかけた。ウェブサイト「Worldometer」によると、新型コロナウイルスによってパレスチナ人4,500名以上が死亡し、検査で陽性反応が出た人の数は43万人以上にのぼるという。

当時のベンヤミン・ネタニヤフ首相と同氏の政敵による権力闘争が続いたことで2年間で4度目の総選挙が実施されたイスラエル政局の危機的状況が2020年と同様に見出しに並んだ。3月に実施された選挙の結果、新たに就任したイスラエルのナフタリ・ベネット首相が組織した奇妙な連立政権樹立によって、ついにイスラエルの政治的な展望に変革が訪れた。政権樹立に貢献したアラブ系政党のマンスール・アッバス党首も連立に参加していた。

ネタニヤフ氏率いるリクードは12年以上も政権を担っていたが、こうして野党となった。同時にパレスチナ人たちは自治政府のマフムード・アッバース大統領が1月15日に発表した自分たちの総選挙実施を待ち望んでいた。議会選挙と大統領選挙はそれぞれ5月22日と7月31日に実施が予定されていた。選挙後の協議によってパレスチナ解放機構(PLO)の復興により長年続いた政治的不一致が解消され、ハマスやイスラム聖戦を含む全ての政党・政治団体が均等に代表されることが保証されるはずだった。

残念ながらこれらは一切実現されることはなかった。カイロで数週間にわたって行われた統合協議では好感触が得られていたにもかかわらず、東エルサレムのパレスチナ人有権者による投票をイスラエルが拒否したことに対する抗議、という名目でアッバース大統領は予定されていた選挙の中止を決定した。

表面的な見せかけだけでもイスラエルの占領下における民主主義の形態を見せようというパレスチナの努力を封じたことと引き換えに、アッバース大統領はアメリカ政府の同盟者リストに再び名を連ねることになった。事実アメリカ政府は4月にパレスチナに対する財政支援を再開させ、トランプ政権によって閉鎖されていたPLOの在ワシントン事務局の活動再開も約束し、トランプ氏によって2018年9月にこちらも閉鎖されていたエルサレムにある同国の在外公館の再開も明言した。

これらの辞令はそれまでの4年間米国によって蚊帳の外に置かれていた自治政府の存在の妥当性を確認するものにはなった。だが新たに発足したバイデン政権は和平交渉再開に向けたロードマップを提供したり、占領の終了やパレスチナ占領地域における不法な入植地の拡張速度を遅らせることについてイスラエルに対して圧力をかけたりするにはいたってない。実際イスラエルによる入植地建設のペースは2021年にますます速まっており、10月にはヨルダン川西岸における数千軒規模の住宅地建設計画の認可が発表された。

東エルサレムのシェイク・ジャラー地区からガザ地区にいたるまでパレスチナの人民が一体となってあらゆる限りの抵抗活動を行わなかったのなら、イスラエルによるこうした挑発行為が国際社会に認知されることはなかっただろう。一連の事態はその後、シェイク・ジャラーやシルワンといった東エルサレムのパレスチナ人居住区からイスラエル政府がそれまでと同様にパレスチナ民族の浄化を試みたことに端を発して5月に起きたガザ地区におけるイスラエル軍の紛争活動へと繋がる。この時エルサレムに住むパレスチナ人たちは、イスラエルの裁判所が自身らの住む家からの立ち退きを決定し、それらの住居が長年にわたって慣例になっているのと同様にその後ユダヤ系イスラエル人入植者たちに受け渡されることに対して、組織的に抵抗し始めたのだ。

近年続いていた絶望感の蔓延がようやく慎重な希望の広まりに取って代わられた

ラムズィー・バルード

シェイク・ジャラー地区における民衆の抵抗は武装した入植者、イスラエル警察、占領軍などによる激しい暴力を持って対応され、5月7日には抗議活動を行うパレスチナ人のうち少なくとも178人が負傷した。占領地域全域のパレスチナ人はエルサレムの同胞との団結を示す活動を開始し、イスラエル軍がガザ地区において5月10日に再び激しい紛争活動を始める事態となった。これによってパレスチナ人250名以上が殺害された。

イスラエルによる紛争活動は東エルサレムで起きている事態から目を逸らさせる目的で行われたものだった。だがラマッラー・ナーブルス・ヘブロン・ハイファの各都市やその他パレスチナ各地の町・村・難民キャンプなどにおいてシェイク・ジャラーならびにガザ地区との団結を示して抗議活動が実施されたことで、この目論みは完全に外れた。パレスチナで初めて党派に言及することなく、その垣根を超えた政治的論議が効果的に表現されたのだ。

パレスチナ人の暴動を鎮圧するためイスラエル政府は数千におよぶ兵士・警官を武装した入植者や民兵らと共に占領地域ならびにイスラエル本土に送り込んだ。その後の衝突や攻撃の結果、多数のパレスチナ人が殺害された。一連の事態によってパレスチナ人が持つ団結力が明らかになっただけでなく、イスラエル社会の全ての面を深く蝕む人種差別主義が表面化した。「歴史的なパレスチナの地に住むパレスチナ人は新たな現実に適応し、もはやより広範なパレスチナ国家の一部ではない」という考え方は全くの間違いであると証明されたのだ。

パレスチナ人によるこの抵抗活動は世界中の市民社会を動かした。ヒューマン・ライツ・ウォッチおよびイスラエルのベツレム(B’Tselem)の各人権団体は「イスラエルはアパルトヘイト(人種隔離政策)国家である」と結論づけた。

イスラエルに対する「ボイコット・投資撤収・制裁(BDS)」運動は2021年を通じて多くの支持を集めた。アイスクリーム業界大手ベン&ジェリーズ社が占領地域からの投資引き上げを決定し、スポーツ関連商品大手ナイキ社はイスラエル国内における企業活動を全て停止することを決定したがその決定について政治的理由付けを行うことはしなかった。ノルウェー最大の年金基金KLPは7月5日にイスラエルの入植地と関連を持つ企業に対する投資の中止を発表した。また年内にはアイルランドの著名な小説家サリー・ルーニー氏がベストセラー『Beautiful World, Where Are You』のヘブライ語翻訳をイスラエルの出版社が行うことを拒否した、と発表した。

その一方で国際刑事裁判所(ICC)においてイスラエルの戦争犯罪人を裁きにかけるという活動は衰えを見せていない。3月に当時のICC主任検察官ファトゥ・ベンスーダ氏が占領地域における戦争犯罪の疑惑について公式捜査を開始することを発表した。ベンスーダ氏はその後ICCを離れたが、パレスチナが提起した訴訟は進行中であり、国際社会における審判がついに下されることへの期待が高まっている。

全パレスチナ人がさまざまな困難に立ち向かうなか、7月に東京オリンピックのメインスタジアムである国立競技場にパレスチナ代表団がパレスチナ国旗を掲げて入場し、人々の意気は再び高揚した。小規模な代表団ではあったがパレスチナ各地域出身のアスリートによって構成されており、文化・スポーツ界におけるパレスチナ人の団結力をより強めた。

一方イスラエルの刑務所内においてもパレスチナ人は抵抗活動を続けた。カイド・ファスファス氏やミクダッド・カワスメ氏といった受刑者がそれぞれ131日間と113日間という長期ハンストを敢行し、ともすれば死に至る事態になっていた。さらに9月6日にはパレスチナ人受刑者6人がギルボア刑務所から脱獄することでパレスチナ人の反抗の意思をさらに明確にした。脱獄したこれらの受刑者は全員捕まり、再逮捕されたあと拷問を受けたとも伝えられているが、このニュースは全パレスチナ人の注目を集め、「自由を得るための英雄的冒険」とみなしたこの行為に人々は勇気づけられた。

その一方で不法勾留が常態化し反体制派活動家の拷問を続ける自治政府によっても多くのパレスチナ人受刑者が苦しめられた。活動家のニザール・バナト氏が6月24日に自治政府治安部隊によって殺害された事件はパレスチナ民衆による大規模な抗議活動へと発展し、撲殺された自治政府に批判的な同氏の死についての責任の所在の明確化と正義がなされることを数千人の人々が求める事態になっていた。

2021年はパレスチナ人にとって紛争・喪失・破壊の一年だった。だがまた団結、文化的業績、希望の一年でもあり、ついに新世代が舞台の中央に立ち、母国の未来についての同一性・中心性を主張した年であった。

  • ラムジー・バロード氏は中東地域に関して20年以上書き続けている。国際的コラムニストであり、メディアコンサルタント。複数の本の著作者で、ウェブサイト「PalestineChronicle.com」の創設者である。ツイッター: @RamzyBaroud
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