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長い間疎外されていた「帰還の権利」が再びパレスチナの優先課題へ

ガザ市東部、ナクバ74周年記念の集会に参加する、国旗を振るパレスチナ人。(AFP)
ガザ市東部、ナクバ74周年記念の集会に参加する、国旗を振るパレスチナ人。(AFP)
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25 May 2022 02:05:36 GMT9
25 May 2022 02:05:36 GMT9

「ナクバ」がパレスチナの課題に戻ってきた。30年近く、パレスチナ人はナクバ、すなわち「大惨事」は過去のものだと聞かされてきた。真の平和には妥協と犠牲が必要であり、したがって、彼らの歴史的な故郷を破壊するに至った原罪は、いかなる「現実的」な政治的言説からも、完全に排除されるべきであるとされてきた。彼らは、前に進むように促されたのである。

このような物語の転換がもたらした結果は悲惨なものだった。近代パレスチナの歴史を形作った唯一にして、最も重要な出来事であるナクバを否定することは、いわゆる急進派と、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領のような平和を愛するはずのプラグマティスト(実用主義者)の間に政治的分裂以上の亀裂を生んだのだ。それはまた、パレスチナの、そして世界中のパレスチナ人社会を、政治的、イデオロギー的、階級的な線引きで分断するものでもあった。

1993年のオスロ合意の調印後、自由を求めるパレスチナの闘いは、完全に再定義され、再構築されたことが明らかになった。それはもはや、20世紀初頭に遡るシオニズムとイスラエルの入植者植民地主義に対するパレスチナの戦いではなかった。「痛みを伴う譲歩」によってのみ解決可能な、等しく正当な領土主張を持つ対等な二者間の「紛争」となったのである。

そうした譲歩の一つは、1947〜48年に村や都市を追われたパレスチナ難民の「帰還権」という核心的な問題を後退させることであった。このパレスチナ人のナクバは、イスラエルの「独立」への道を開いた。イスラエルの独立は、破壊され、焼かれた500近いパレスチナの村や町の瓦礫と煙の上で宣言されたのである。

いわゆる「和平プロセス」が始まったとき、イスラエルは象徴的にではあるが、パレスチナ人の帰還権を尊重するよう求められたが、それを拒否した。そしてパレスチナ人は、その基本的な問題を「最終地位交渉」に委ねるよう迫られたが、それは実現しなかった。このため、何百万人ものパレスチナ難民――その多くは、パレスチナ占領地のみならず、レバノン、シリア、ヨルダンの難民キャンプで今も暮らしている――が、政治の議題から完全に外されてしまったのである。

もし難民自身が自分たちの権利を主張し、子どもたちにも同じように教えるという社会的・文化的活動を続けていなければ、ナクバや帰還権といった言葉はパレスチナの政治用語から完全に抜け落ちていたことだろう。

パレスチナ人の中には、難民問題の疎外を拒否し、その対象は単なる人道的なものではなく政治的なものだと主張する者もいたが、この権利には何の意味もないかのように前に進もうとする者もいた。今や完全に崩壊した“和平プロセス”に関わってきた様々なパレスチナ人高官が、帰還の権利はもはやパレスチナ人の優先事項ではないことを明らかにしてきた。しかし、アッバース大統領ほどではないだろう。同氏は2012年、イスラエルの「チャンネル2」でのインタビューで、パレスチナの立場を次のように語っている。

「今、私にとってのパレスチナは、東エルサレムを首都とする1967年の国境線だ。これは今も昔も変わらない。これが私にとってのパレスチナだ。私は難民の一人だが、ラマッラーに住んでいる」

帰還の権利は単に「非現実的」であるというかつて流行した議論は、一般のパレスチナ人にとっても、彼らの知的・政治的エリートにとっても、もはや重要ではない。

ラムジー・バロード

もちろん、アッバース氏は完全に間違っている。彼が帰還の権利を行使したいかどうかは別として、国連総会決議194号によれば、その権利は単に「不可侵」であり、イスラエルもパレスチナ人自身も、それを否定したり喪失させたりすることはできないということである。

現在の悲劇的な現実をその主な根本原因から切り離す知的誠実さの欠如はもちろん、アッバース大統領は政治的な知恵も欠いていた。“和平プロセス”が崩壊し、具体的な政治的解決策がない中、彼は何百万人もの難民を見捨て、彼らの家や土地、尊厳を取り戻すという希望そのものを否定することにしたのである。

それ以来、イスラエルはアメリカとともに、パレスチナ人と2つの戦線で戦ってきた。それは、彼らの政治的地平を否定することと、彼らの歴史的に確立された権利、中でも帰還の権利を解体しようとすることである。パレスチナ難民のための機関である国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に対する米国の戦争は、後者のカテゴリーに属する。その目的は、法的・人道的なインフラ――パレスチナ難民を、帰還、補償、正義を求める人々の集団とみなすことを可能にする――の破壊である。そして、今もそうであり続けている。

しかし、こうした努力はすべて失敗し続けている。そして、アッバース氏によるイスラエルへの個人的な譲歩、UNRWAの縮小し続ける予算、パレスチナの権利を回復する国際社会の失敗よりもはるかに重要なことがある。それは、パレスチナ国民が再び「ナクバの日」を中心に団結し、パレスチナとディアスポラ(国外在住者)700万人の難民の帰還権を主張しているという事実である。

皮肉なことに、ナクバの日を中心にパレスチナ人を知らず知らずのうちに団結させてきたのはイスラエルであった。彼らはパレスチナ人が勝利を主張することはおろか、非武装であろうとなかろうと、自分たちの国家を持つことも、一人の難民の帰還も認めなかった。パレスチナへの譲歩を微塵も見せないことによって、パレスチナ人はオスロ合意と、その数々の幻想を捨てざるを得なかったのだ。帰還の権利は単に「非現実的」であるというかつて流行した議論は、一般のパレスチナ人にとっても、彼らの知的・政治的エリートにとっても、もはや重要ではない。

政治的な論理では、何かが不可能であるためには、代替案が達成可能でなければならないだろう。しかし、イスラエルの入植者植民地主義とアパルトヘイト政策の深化のもとで、パレスチナの現実は悪化している。パレスチナ人は、自らの団結と抵抗、そして彼らの闘いの基本への回帰以外に可能な代替案はないことを理解するようになったのだ。昨年5月の民衆蜂起(ユニティ・インティファーダ)は、この新しい認識の集大成であった。さらに、5月15日に歴史的パレスチナと世界の至るところで行われたナクバを記念する集会やイベントは、ナクバはもはや象徴的なものではなく、帰還権がほとんどのパレスチナ人の集団的で中核的な要求であるという、新しい言説をさらに強固にするのに寄与した。

イスラエルは今や、本当の意味でのアパルトヘイト国家である。イスラエルのアパルトヘイトは、それが意味する人種的分離のシステムと同様に、74年近くにわたる無軌道な植民地主義、土地の窃盗、軍事的支配の成果を保護することを目的としている。パレスチナ人は、ハイファ、ガザ、エルサレムを問わず、今ではこのことを十分に理解し、一つの国家として反撃の機運を高めている。

そして、ナクバと、それに続くパレスチナ難民に対する民族浄化は、パレスチナ人の苦しみの背後にある共通項である。そのため、この言葉とその背景は、元々あるべき場所――パレスチナに関する有意義な会話の中心舞台――に再び戻ってきたのだ。

・ラムジー・バロード氏は20年以上にわたって中東について執筆している。国際的な組織のコラムニスト、メディア・コンサルタント、数冊の本の著者であり、PalestineChronicle.comの創設者でもある。

Twitter: @RamzyBaroud

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