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ガザでの衝突は現在のところ収束、だが…

ガザ市の全景。(2022年8月22日、ロイター)
ガザ市の全景。(2022年8月22日、ロイター)
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14 Aug 2022 09:08:06 GMT9
14 Aug 2022 09:08:06 GMT9

先週末、イスラエルとイスラム聖戦の間で起きた衝突が、「たった」3日間の戦闘の後に停戦が発表されて終結した時、ほっと安堵のため息をつきたい誘惑に駆られた人もいたかもしれない。

だが、長期的な解決策が見いだされない以上、この停戦もまた脆いものだ。今回のようにきわめて限定的な対立(ここ約1年ではこれら敵対する二者間のもっとも激しい衝突ではあったが)でさえ、民間人や子供15人を含む、少なくとも44人のパレスチナ人の犠牲者を出している。

双方とも、早期の段階で勝利宣言を出した。もっとも、少なくとも1,100発のロケット弾をイスラエルに撃ち込みながら、大きな痛手を負ったのはイスラム聖戦の側で、この戦闘で最高位の軍事指導者を失っている。この間、ハマスは国内における政治的ライバルの被った被害に、さほどの同情は示さなかったようだ。

いつものことながら、この暴力の悪循環の最大の被害者はパレスチナの一般市民、とりわけガザ地区の住民であり、次いでガザとの国境近く、あるいはイスラム聖戦のロケット弾の射程範囲内に住むイスラエル人である。しかし、より大局的に見ると、今回の暴力はそれ以上に、イスラエルとパレスチナの平和と共存の可能性にダメージを与えたのだ。

合意に達する可能性はもちろんのこと、和平プロセスにいかなる進展の見込みもない状態で、イスラエルによる苛烈な占領と封鎖がいわばなし崩し的に維持され、ますます深くガザとヨルダン川西岸地区に根を下ろしつつあり、出口は見えない。

イスラエルの人権団体、ブレーキング・ザ・サイレンスがまとめたイスラエル治安部隊の兵士たちの新たな憂慮すべき証言によれば、「官僚主義的暴力と抑圧」と呼ばれるものが日々パレスチナの人々を苦しめており、これによって占領者がパレスチナ市民を虐待している事実が浮き彫りになった。

これは、イスラエル当局が占領に際して起きるあらゆる抑圧行為について主張しているような治安維持、あるいはテロとの闘いといったものではなく、占領者が占領下で生きる人々の生活を全面的に支配しようとする陳腐な欲求によるものだ。

このような支配によって、人々は常に不安な状態に置かれ、何をすべきで何が許されているのだろうかと問うようになる。そしてついには、軍事・文民を問わず統治機構に完全に依存するようになる。これらの統治者は、ペンを走らせたり、手を一振りしたりするだけで人々の生活を一変させるような決定を下せるからだ。移動の自由や就職の権利、医療サービスを受ける権利、病気や死に瀕した親族を見舞う権利への制限を緩和することも、逆にこれらすべての権利を否定することも可能なのだ。

イスラエルの行政当局は、公式に占領地域で市民行政を「良き統治と公共の秩序の必要性に鑑みて住民の幸福と利益のため、および公共サービスの提供と運営のため」行うという任務を与えられている。

この暴力の悪循環の最大の被害者はパレスチナの一般市民、とりわけガザ地区の住民だ

ヨシ・メケルバーグ

だが現実には、ブレーキング・ザ・サイレンスが収集した元兵士たちの証言によれば、行政当局が住民の幸福を保証するという理念は、踏みにじられている。行政局は治安部隊の意向を受けて、パレスチナの土地と人々を完全に支配するために動いている。そのために許可制度が乱用され、パレスチナ市民は入植者も含めたイスラエル人が享受しているすべての権利を行使するために、一つ一つ許可を取らなければならない。たまたま占領下のパレスチナ人として生まれたという偶然が、このような違いを生むのだ。

本来合法的な活動を制限することには、無論実際的な利点もあるが、この許可制度には、心理的側面もある。この制度に現れているのは挑発を避けようともしない態度であり、パレスチナ住民を支配しようという意図である。

パレスチナの人々はいかなる理由であれ、イスラエルに入るために許可を取らなければならない。許可の大半は却下されるのだが、ヨルダン川西岸地区やガザよりも多くの職があって給与も高いイスラエルで仕事をするにも、家族に会いに行くにも、ガザと西岸地区を行き来するにも、イスラエル国内で移動するにも、治療を受けるにも、すべて許可が必要なのだ。

パレスチナ人の大半は、聖地で礼拝することも、ビーチで楽しく一日を過ごすことも禁じられている。馬鹿げた話だが、パレスチナ人が自分の土地を耕す、あるいは自宅に行くのにさえ許可が要る場合があるのだ。

例えば、イスラエル軍のある元下士官は、農民たちが自分の育てたオリーブの収穫を禁止されたという話を伝えている。別のケースでは、イスラエル側の分離壁のそば、イスラエル入植地に近い辺鄙な場所に住んでいたニジャムという名のパレスチナ人は、自宅に入るために、指令室に電話して分離壁のゲートを開けてもらう必要があった。彼は自宅に出入りするにも、ゲートの開閉を担当する兵士たちのなすがままであった。

このような状況は、決して珍しいものではない。若い兵士や役人たちは、何が許可されて何がそうでないかを、自由に解釈して決めるという絶大な権限を与えられている。自分の信念に基づいて方針を決定することは「最高司令部の意向」なのであり、あるいは単なる気まぐれで決めてしまってもよい。
似たような事例が、別のイスラエルの人権団体、ギシャによっても報告されている。ギシャはガザ地区に住むパレスチナ人の移動の自由を保護することを使命としている。

ガザ地区の住民の大半は難民に分類されるが、戦争や破壊の影響、失業、貧困に苦しみ、基本的なサービスさえ受けることができない。それに加えて、移動の許可を得られるのはごく一部のみで、「例外的な人道上の事由」がある場合である。許可が与えられるのは限られた数の業者やビジネスパーソンで、最近になってイスラエルの農業や建築現場で働く肉体労働者がこれに加えられた。これはイスラエル経済とガザ住民双方を利する措置である。

この差別的なシステムのもとでは、しばしば規則さえ無視され、理由の説明もなく申請の大半は却下され、時には許可証を持つ人が検問所で越境を拒否されることさえある。これは、人々の運命をそうできるからという理由だけででたらめなやり方で決めてしまう、完全に恣意的な行動だとしか言いようがない。

上に挙げたのは、偶発的事例でも珍しい話でもない。不条理さの度合いに差こそあれ、これらすべての例は、何らかの形で一般のパレスチナ市民に、家族を食べさせたり、自分の土地を耕したり、定期の通院や緊急の治療のために病院へ行ったりすることができようができまいが、一方的に指図するという効果を持つ。

交渉のための政治的地平が存在しないため、日常的な困難と、イスラエルの兵士や役人との絶え間ない摩擦によって、イスラエルへの怒りは高まり、200万人のパレスチナ人は絶望に追いやられている。

絶望による服従と従順さ、これこそがイスラエル当局が達成したいと望んでいるものだ。きわめて非道徳的なだけでなく、長期的には、平和的共存の可能性を破壊し、憎悪の高まりと、それに続くさらなる戦争と流血しか招かないだろう。

  • ヨシ・メケルバーグ氏は国際関係学教授で、チャタムハウス中東・北アフリカ(MENA)プログラムのアソシエイトフェローを務める。国際的な活字メディアや電子メディアに定期的に寄稿している。
    ツイッター:@YMekelberg
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