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パレスチナ人はホロコーストの苦しみを認識している

サブラ・シャティーラの大虐殺(1982年)の犠牲者に捧げられた記念碑。レバノン南ベイルート、サブラ(ウィキメディア・コモンズ)
サブラ・シャティーラの大虐殺(1982年)の犠牲者に捧げられた記念碑。レバノン南ベイルート、サブラ(ウィキメディア・コモンズ)
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02 Sep 2022 02:09:58 GMT9
02 Sep 2022 02:09:58 GMT9

イスラエルが2002年4月の死の猛攻撃をヨルダン川西岸北部のジェニンにあるパレスチナ難民キャンプに加えてから1週間後、ハアレツ紙は「ジェニンで大虐殺はなかった」と題する社説を掲載した。

この不当な結論付けは第三者による調査委員会が徹底的な調査を行った結果ではない。実際、イスラエルは国連の輸送隊がジェニンキャンプに行くのを妨害し、その後、50人以上のパレスチナ人殺害に関する国連の調査を公式に拒否した。ハアレツ紙の一見決定的な声明は2種類の恣意的な証拠を根拠にしていた。ジェニンで大虐殺を行っていないというイスラエル軍の主張と、パレスチナ人の犠牲者の数が推定数百人から数十人に引き下げられたという事実だ。

イスラエル国内では「世界に衝撃を与えた大虐殺のブラックリストにジェニンが加わるのではないかと多くの人が恐れていました」とハアレツ紙は明らかに安堵したトーンで報じた。イスラエルは他にもパレスチナ人に対して多くの犯罪や虐殺を犯してきたが、イスラエル人は自分たちが歴史の正しい側にいるという幻想を持ち続けることによって安心しているのだ。

「ジェニンの大虐殺」という言葉を使う主張をした人々はイスラエルのメディアや当局者だけでなく欧米のメディアからも攻撃・中傷された。想像に難くないが、イスラエルがパレスチナ人を大虐殺したと非難することは反ユダヤ主義と同一視されたのだ。

これは数千人のパレスチナ人とレバノン人が犠牲になった1982年の「サブラ・シャティーラの大虐殺」でイスラエルを非難した人々に対して貼られたレッテルと同じだ。レバノン南部の難民キャンプで起きた恐ろしい大虐殺について、当時のイスラエル首相メナヘム・ベギンは次のように言い返した。「ゴイム同士が殺し合い、ユダヤ人を吊るし首にしようとやってくるのです」

レバノン侵攻を命じたのはベギン首相であり、その結果推定17,000人のパレスチナ人とレバノン人が殺害されたが、それでも同氏には全く罪の意識はなく、根拠なき非難はイスラエルだけでなく世界中のすべてのユダヤ人を標的とした反ユダヤ主義思想のあらわれだと考えていた。皮肉なことにイスラエルの公式なカハン委員会は当時のイスラエル国防相アリエル・シャロンに「大虐殺の間接的責任」を認めている。シャロン氏は後に首相になった。

最近、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領がイスラエルによるパレスチナ人に対する犯罪を表現する際に「ホロコースト」という言葉を使ったことで起こった騒動は言葉そのものではなく、上記の文脈の中で捉えるべきものであろう。

実際、当然のことだが親イスラエルの諸団体がアラブ・パレスチナのメディアをモニターしているので多くのイスラエル人はアラブのメディアでこの言葉が使われていることをよく理解している。「シリア人のホロコースト」「イラク人のホロコースト」「パレスチナ人のホロコースト」などなど同じような表現に多く接しているはずだ。

アラビア語で「ホロコースト」は恐ろしい虐殺、あるいは大虐殺に相当するものを表すようになった。虐殺を意味する「マスバハ」とは違い「ホロコースト」はより深く、より悲痛な意味合いを持つ。むしろ、この言葉を使うということは第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人やその他の立場の弱い少数民族の大量殺戮に対するアラブ人の理解促進がさらに進んでいるということなのだ。この言葉はアドルフ・ヒトラーの卑劣な犯罪を否定したり、無かったことにしたり、置き換えようとするものではない。

実際、アッバース大統領の発言は簡単に分析するだけでも、その意図は十分明確だ。今月ドイツを訪問した際にパレスチナの指導者はアラビア語で次のように発言した。「1947年から今日までの間にイスラエルはパレスチナの村や都市で虐殺を50回行っています。。。50件の虐殺、50件のホロコースト、そして今日まで、毎日イスラエル軍によって殺されている犠牲者がいるのです。」

アッバース大統領が50件の特定の虐殺を意識していたということはないだろう。もしそうならば、はっきり言って同大統領が間違っているのは確実だ。なぜならば言及された期間にもっと多くの虐殺が発生しているからだ。ナクバ、ジェニン、その他の大量殺戮は別にしても2008〜2009年にかけてと2014年のイスラエルによるガザへの攻撃で民間人を中心に約3,600人のパレスチナ人が殺害されている。

アッバース首相の発言はドイツのオラフ・ショルツ首相とともに臨んだベルリンでの記者会見の場で、1972年のミュンヘン・オリンピックで11人のイスラエル人が殺害されたことについて、アッバース首相は謝罪する用意があるかとのドイツ人ジャーナリストによるおかしな質問に答えたものであった。事件を起こしたパレスチナ過激派はパレスチナ解放機構とは関係なかったし、当時このパレスチナ人指導者は国外追放中だったわけで、この質問は不適切だ。しかもアッバース・ショルツ会談が開かれる1週間ほど前、イスラエルはガザに対していわれのない攻撃で49人のパレスチナ人(ほとんどが民間人、うち17人は子ども)を殺害したばかりだったのだ。

このジャーナリストは、パレスチナ市民の死に関してイスラエルから謝罪を受けたかとアッバース大統領に質問する方が適切だっただろう。あるいは、ベルリンが盲目的にテルアビブを軍事・政治面で支援してきたことをパレスチナの人々に謝罪する用意があるか、ショルツ首相が問われるべきだったかもしれない。それにも関わらず、特にドイツの指導者がいる場でホロコーストという言葉をあえて使ったことを責められ恥をかかされたのはアッバース大統領であり、ショルツ首相もその場でアッバースの発言に反論しなかったことでイスラエルのメディアや政府関係者からも非難されたのだ。

イスラエルとの政治危機を回避するためショルツ首相は翌日になってアッバース大統領の「とんでもない発言」に「うんざり」しているとツイートした。「ホロコーストの罪を否定しようとした」などとパレスチナの指導者を非難した。

欧米の真のホロコースト否定派とは違い、パレスチナ人は自分たちの犠牲者とナチス・ドイツの犠牲者の間に類似性を感じている。

ラムジー・バロード

予想通りイスラエルの指導者層はこれを歓迎した。パレスチナの市民を殺害した責任を問われるどころか、自分たちが道徳的に優位に立てる立場にあることになったのだ。イスラエルのヤイール・ラピード首相は、アッバース大統領の「道徳的な恥」と「とんでもない嘘」に対して激怒してみせた。ベニー・ガンツ国防相もこれに加わりアッバース大統領の発言を「卑劣だ」とした。

アッバース大統領がすぐに謝罪したにも関わらずドイツ側はエスカレートし続け、ベルリン警察がアッバース大統領に対して「予備調査を開始した」と報じられている。同大統領の発言の波紋は今なお続いている。

パレスチナ人はホロコーストを否定しているのではなく、むしろイスラエルの手によって続く苦しみを強調するためにこの言葉を使っているのだ。欧米の真のホロコースト否定派とは違い、パレスチナ人は自分たちの犠牲者とナチス・ドイツの犠牲者の間に類似性を感じている。その点において調査すべき犯罪性など存在しないのだ。

本当に緊急の調査と非難が必要なのは、イスラエルがパレスチナとの対立で安っぽい政治的な点数を稼ぎ、批判する者を黙らせ、数々の虐殺、犯罪的軍事占領、人種差別的アパルトヘイト体制の実態を隠す目的で続けている情報戦やホロコーストの記憶への中傷なのだ。

  • ラムジー・バロード氏は20年以上にわたり中東について執筆している。同氏は国際コラムニストシンジケートの一員であり、メディアコンサルタントでもある。著書が数冊あり、PalestineChronicle.comのファウンダーでもある。ツイッター: @RamzyBaroud
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