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サウジアラビアのマワン渓谷の秘宝を探る

ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。(写真提供:サイード・アル=クァーニ、タレク・モハメド)
ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。(写真提供:サイード・アル=クァーニ、タレク・モハメド)
ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。(写真提供:サイード・アル=クァーニ、タレク・モハメド)
ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。(写真提供:サイード・アル=クァーニ、タレク・モハメド)
ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。(写真提供:サイード・アル=クァーニ、タレク・モハメド)
ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。(写真提供:サイード・アル=クァーニ、タレク・モハメド)
ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。(写真提供:サイード・アル=クァーニ、タレク・モハメド)
ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。(写真提供:サイード・アル=クァーニ、タレク・モハメド)
ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。(写真提供:サイード・アル=クァーニ、タレク・モハメド)
ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。(写真提供:サイード・アル=クァーニ、タレク・モハメド)
ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。(写真提供:サイード・アル=クァーニ、タレク・モハメド)
ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。(写真提供:サイード・アル=クァーニ、タレク・モハメド)
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27 Jan 2021 08:01:59 GMT9
27 Jan 2021 08:01:59 GMT9
  • 考古学調査団は、旧石器時代および後期旧石器時代にこの地域に人類が存在していたことを明らかにする

タレック・アル=タカフィ

マッカ:ひっそりと佇むマワン渓谷は、サウジアラビアで最も重要な遺跡の1つとされている。

リヤドの南、アド=ディラムの街の近くに位置し、素晴らしい自然の美しさを誇る地域でもある。

歴史学の教授で考古学者のアブドゥル・アジズ・アル=ガッツィ博士はアラブニュースに語った。「谷には2種類あります。マワン渓谷のように遠くから見ることはできず、その最上部に立たなければ見られないものと、ワディ・アル=ルンマ、アル=ティリ、アル=シャウキのように遠くから見ることができるものです」

両側の2つの石造りの構造物が、渓谷の雄大な眺めを作り出している。また、砦や城の遺跡、一対の望桜があり、その植生と水資源がこの地域の戦略的重要性を表している。

彼によると、谷は高い台地を西から東に切り開き、その深さと蛇行で知られていたという。

「谷の要所には今でも要塞がそびえています。渓谷に沿って、流れる泉や頂上、堅固な地面の水域があり、年間を通して長く続いています」と、彼は付け加えた。

マワンと同様に、谷に沿っていくつかの町が点在している。アル=ガッツィ氏は「町の名前が谷にちなんでつけられたのか、それともその逆なのかはわかりません。しかし、町より先に谷が存在していたことは間違いありません。ですが、谷とその脇にある遺跡はまだ調査されていません」と語った。

キングサウド大学の古代史准教授であるサルマ・ビン・モハメッド・ホーサウィ博士がアラブニュースに語った。「考古学調査団は、この地域での人間の存在が旧石器時代および後期旧石器時代、つまり約10万年前までさかのぼることを明らかにしました」

彼女は、アラビア語の情報源によると、マワンは避難所を意味し、ハザン族やラビアー族を含む多くのアラブ部族がこの地域に住んでいたと指摘した。

この谷はまた、イブン・デュライド、イムル・アル=カイス、オルワ・イブン・アル=ワード・アル=アブシなどの作家によって、イスラム以前のアラビア語の詩の中で言及されている。「詩人たちは、谷とラクダ、シマウマ、馬など、この地域にいた動物について書いています。詩人たちがこの地域に流れる淡水を記述していることは、人間がその地域に住んでいた証拠です」とホーサウィ博士は述べた。

陶器の器、ブレスレット、石鹸石(ステアタイト)の鉢だけでなく、谷側の砦や見張り台の他にも、この地域では多くのものが発見されている。

「岩と泥で造られた2つの砦があります。泥は谷の底から運ばれてきたもので、岩は南に伸びる縁の表面から切り出されたものであることは明らかです」

彼女は、谷の南側にある砦がアラビア文字の「Baa」に似た壁であったことを指摘した。

「壁の基礎は、隣接する土地から切り出した高さ60~80センチの石板で支えられていました。壁の高さは6メートル以上になります。塔は円錐形で、中心が下に開いていて、屋根がないように見えました」

「東の角にある塔は2階建てで、それぞれに機能があります」と、彼女は付け加えた。

北側の建物は、不規則に繋がる4つの壁に囲まれた庭、そしていくつかの塔で構成されていると、彼女は言った、彼女は、その塔のいくつかは最初のサウジアラビア国家にさかのぼるかもしれないと付け加えている。

ホーサウィ博士は、監視塔は地域を監視し、要塞に軍事信号を送るための観測所として使われていたと述べている。防御要塞は、外国の侵略者からこの地域を守るために建設された。

アラブ人はかつて水や牧草地、安定を求めて、地域から地域へと移動していた。アラブ諸国の地理的性質には明らかな違いがあるからこそ、砂漠に住むベドウィン(遊牧民)と、都市を好み、農業や貿易、工業に従事するハダリスという2種類の集団が存在していたのだと、彼女は付け加えた。

「私たちの祖先の文化遺産を後世に紹介するために、これらの遺物を保存しなければなりません」とホーサウィ博士は述べている。

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