

タレック・アル・タカフィ
メッカ:ジェッダのバタルジー・ハウスは、サウジアラビアに滞在したアメリカ人の記憶に残る最も重要な史跡の1つであり、同国初の米国領事館が置かれた場所である。
この家屋は、西アラビアの石油資源開発のための英国企業の本部でもあった。その後、アラビアン・アメリカン・オイル社(アラムコ)に引き継がれ、従業員の住居として使用された。
ジェッダ商工会議所のイブラヒム・モハメド・バタルジー理事はアラブニュースに対し、バタルジー・ハウスは1860年に建てられ、シェイク・オマール・バジュベール氏が50年間所有した後、1909年にシェイク・イブラヒム・ハッサン・バタルジー氏に所有権が移った、と話した。
古いバタルジー・ハウスの絵。(提供)
「シェイク・イブラヒム・ハッサン・バタルジー氏は、当時『名誉エンジニア』として知られていたメッカ出身のエンジニアの監督のもとで、この家に多くの改良を施しました。これらの改良には、溶鉄と木彫でできたバルコニーや柱、手すり、また、モザイクや、当時は珍しいモザイクで覆われたコンクリートの階段などがあります」と、彼はアラブニュースに語った。
「1940年から52年にかけて、米国政府はサウジアラビア王国で最初の米国大使館の本部としてバタルジー・ハウスを借用しました。当時、米国大使は1万ドルを提示してこの家の正門を購入しましたが、これは現在も残っています」
バタルジー・ハウスは、ジェッダのアル・シャム地区で最も重要な家屋の一つとされており、文化省が元の状態に完全復元している。
バタルジー氏によると、この家屋には約200点の骨董品や名品があり、この地域で最も名高い家屋の1つとされている。また、サウジアラビアの2本の剣と椰子をモチーフにしたサウジ初の電話もある。
同氏は、バタルジー・ハウスは観光名所となっており、サウジアラビアとアメリカの歴史的な関係の最初の中核とみなされ、また、世界最大の石油会社数社のインキュベーターとして機能し、この地域と世界の歴史を変えたと指摘した。
数十年前のバタルジー・ハウスの様子。(提供)
この家屋は3階建てで、隣家もバタルジー家が所有している。この2棟目の家屋は、サウジアラビアで最初に石油探鉱を行った英国使節団の本部であり、バタルジー氏によると、サウジアラビア観光・国家遺産委員会とジェッダ市は、この2棟の修復に意欲的であるとのことだ。
また、収蔵品の中には1917年製のカメラ、100年前のプリンター、オスマントルコ時代の銃やガラス製品、7〜8世紀の銅器、第1、2、3次サウジ国家の硬貨などが含まれているという。