
ディーマ・A・クデイル
ジェッダ:あるサウジアラビアの作曲家が、1960年代に同王国で音楽が復活した時のことを振り返った。当時、サウード国王が治療のための海外渡航から帰国したことを記念し、公演が開催された。
1962年以前、サウジアラビアでは公の場で音楽を演奏することは禁じられていたため、人々はひそかに演奏していたものだ。こう回想するのは、サウジアラビアの作曲家、作家、研究者のモハメド・アル・セナン氏だ。
「公的なイベント、結婚式、プライベートな場であっても、音楽の演奏は許されていませんでした。当時は楽器、蓄音機でさえ持っている人は宗教警察に捕まりました。楽器を持ち運んだり借りたりするのは、たとえ市場の中でも大罪と見なされました」と同氏は述べた。
しかし1962年、サウード国王が医療目的の旅から帰国したとき、当時のファイサル皇太子殿下(のちの国王)の命令によりパーティーが開催された。
「驚いたのは、セレモニーの中で、当時の有名歌手が楽器伴奏つきで歌を歌ったことです」とアル・セナン氏は回想する。
それがターニングポイントとなり、それ以来音楽は演奏されるようになり、サウジ国内のテレビでコンサートが放送されるようになった。
「60年代以降、特にタラル・マダーが有名になった後、メディアはこの分野で活気づきました」とアル・セナン氏。
マダー氏はサウジアラビアの音楽家・作曲家で「Sowai’at Al-Aseel」や「Wardak Ya Zare’Al-Ward」という曲で有名になった。彼は複数のコンサートを開き、レバノンの人気雑誌『Al-Maw’ed』に取り上げられた。
60年代の終わり頃には、モハメド・アブドゥ、作曲家のガジ・アリなど他のサウジアラビアの音楽家も名を馳せるようになった。
それからまもなく、サウジアラビアのメディア省はラジオやテレビで同国の音楽を流し始め、ラジオやテレビの舞台でコンサートを開催するようになった。
「Abdulmajeed Abdullah Rashid Al-Majid、Hussien Qurayesh など多くの有名歌手がこの舞台に出演しました」と彼は言う。
「メディア省は当時巻き起こった音楽ブームに重要な役割を果たし、アーティストをサポートしました」。
アル・セナン氏はサウジアラビアで長く輝かしいキャリアを持っている。
同氏は、オリエンタル音楽を教えるためにアル・コバールでアル・アハリ・クラブを開設したヨルダン人の巨匠・故タウフィーク・ジャド氏に師事した。
1962年、ジャド氏はアル・コバール・オーケストラ(のちのシルバーバンド)を設立し、アル・セナン氏はバイオリニストとして注目を浴びた。
1962~1963年、このバンドの公演のいくつかがアラムコテレビで放送された。
1965~1966年、シルバーバンドのコンサートは、アラムコの娯楽クラブやダーラン空軍基地の空軍クラブで人気のイベントだった。