Since 1975
日本語で読むアラビアのニュース
  • facebook
  • twitter
  • Home
  • サウジ政府系ファンドPIFのギガプロジェクトに指定されたディルイーヤの重要性

サウジ政府系ファンドPIFのギガプロジェクトに指定されたディルイーヤの重要性

数百年前、日干しレンガの都市ディルイーヤは、やがてサウジアラビアという国家になる国の発展において重要な役割を果たした。そして現在、多くの観光客を呼び寄せる都市としての重要な役割を新たに担おうとしている。(提供写真)
数百年前、日干しレンガの都市ディルイーヤは、やがてサウジアラビアという国家になる国の発展において重要な役割を果たした。そして現在、多くの観光客を呼び寄せる都市としての重要な役割を新たに担おうとしている。(提供写真)
Short Url:
10 Jan 2023 10:01:35 GMT9
10 Jan 2023 10:01:35 GMT9
  • サウード王家の最初の本拠地だったこの都市は500億ドル規模の修復プロジェクトの対象となっている
  • ムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下は、PIFによる投資は「ユニークな観光地としてのディルイーヤの地位」を反映していると述べた

ラワン・ラドワン、モハメド・アル・キナニ

ジェッダ:500年以上前から、日干しレンガの都市ディルイーヤの遺跡はアラビア半島の住民の回復力、決意、有為転変の物言わぬ証人であり続けてきた。

リヤド郊外、ワディ・ハニファのほとりのオアシスに曲線状に建設されたディルイーヤの日干しレンガの壁は、かつては文化と商業の中心地として栄えた砂漠の都市を囲っていた。

有名な砦があるディルイーヤのアトゥライフ地区は、サウード王家の最初の本拠地だった。1727年に首都と定められ、後に統一されサウジアラビアとなる国の基礎が築かれた。

国王陛下と皇太子殿下の努力により、生まれ変わったディルイーヤが間もなく世界に披露されるだろう。(SPA)

それから約300年後の2010年、アトゥライフの遺跡はユネスコ世界遺産に登録された。2017年7月には、そのレガシーを蘇らせることを目指す緻密な修復計画の実施が決定された。

そしてこの度、ディルイーヤはサウジアラビア公的投資基金(PIF)のポートフォリオに5番目のギガプロジェクトとして加えられた。

5つのギガプロジェクトは、新たなセクターの立ち上げ、官民連携の促進、投資・雇用機会の拡大を通してサウジ経済を多角化するための政府系ファンドPIFの戦略における重要な柱となっている。

サウジアラビア首相でPIF会長のムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下は9日に行った発表の中で、他のギガプロジェクトと共にディルイーヤが認められたことは「独自の文化的・歴史的な観光名所を持ったユニークな観光地としてのディルイーヤの地位」を反映していると述べた。

6200億ドル以上の資産を運用するPIFは、サウジアラビア経済の多角化と炭化水素依存低減を目指す計画「サウジビジョン2030」の中心に位置する。

ディルイーヤ以外にも、サウジアラビアのギガプロジェクトとしてはスマートシティNEOM、レッド・シー・グローバルの高級観光開発、リヤドを拠点とする複合娯楽施設キディア、不動産開発企業ROSHNなどが名を連ねている。

石や日干しレンガの家、中庭、塔が迷路のように入り組むディルイーヤのアトゥライフ地区の中心には、壮麗なサルワ宮殿の高い城塞塔がある。(提供写真)

ディルイーヤ・ゲート開発局(DGDA)は2017年、サウジ政府から「王国生誕の地」を再開発して世界クラスの持続可能な観光・娯楽・文化の中心地に作り変えるよう委託された。

この500億ドル規模のギガプロジェクトが完成すれば、ディルイーヤは伝統的なナジディ建築様式で建てられた世界最高級のレストランやホテルのほか、保全地区や文化施設を誇ることになる。

ディルイーヤを地域で最も観光客を引き付ける都市の一つとするために、DGDAがプロジェクトを継続的に監督する。

石や日干しレンガの家、中庭、塔が迷路のように入り組むディルイーヤのアトゥライフ地区の中心には、壮麗なサルワ宮殿の高い城塞塔がある。サウジアラビアの物語の第一章が綴られたのはこの場所だ。

1万平方メートル以上の面積にわたって広がるサルワ宮殿(サルワはアラビア語で慰め・癒やしの意)は単一の建築物としてはディルイーヤで最大のもので、段階的に建てられた7つの建築部分から構成されている。

最初の部分が建てられたのは1446年。バヌ・ハニファのアル・ドゥル部族のマラダ氏族の指導者で「サウジ王家の父」のマナー・アール・ムライデが、やがてアラビア半島の歴史上最も偉大な国家となる国の基礎を築いた年だ。

日干しレンガ、藁、丸太を使って独自のナジディ建築様式で建てられており、壁には空気を循環させ室内に自然光を取り入れるよう設計された三角形の飾り窓が並んでいる。

1981年にディルイーヤの史跡を訪れたサルマン国王。(提供写真)

この建築様式は数世紀にわたり、日干しレンガ、ワディの斜面から切り出された石灰岩、頑丈なタマリスクの木から切り出された木材といった容易に入手できる数少ない自然の材料を使用しながら、厳しい環境に応じた進化を遂げた。

歴史家は、第一次サウード王国はサウード家のイマーム・ムハンマド・イブン・サウードがディルイーヤの統治者となった1727年に建国されたと考えている。彼はサルマン国王の6代前の先祖であり、サウジアラビアの歴史上「最も重要な人物の一人」だ。

ワディ・ハニファの中に建設されたディルイーヤが台頭したことはアラビア半島の歴史上のターニングポイントだ。アラブ世界・イスラム世界が安定と繁栄を得て貿易・文化・知識・交流・経済交換の中心地となった時代である。

イマーム・ムハンマドの死後、息子のアブドルアジーズが父の仕事を引き継いだ。そしてその後何年も経って、「サウード大王」として知られる息子のサウードが王位を継承した。

ディルイーヤはサウジアラビア公的投資基金(PIF)のポートフォリオに5番目のギガプロジェクトとして加えられた。(リヤド王立委員会)

サウジ国家が、北はユーフラテス川やレバントの端、南はサヌアやマスカット、東はアラビア湾岸、西は紅海にまで拡大するにつれ、その支配に対する脅威も拡大した。

1811年、イブラヒム・パシャ率いるオスマン軍がアラビアの紅海沿岸のヤンブーに上陸した。多くの流血を伴った6年にわたる軍事遠征の始まりだった。この侵略は第一次サウード王国が敗北しアトゥライフを放棄することで終わりを告げる。

1818年3月、城壁は砲火で損傷した。その時の傷は今でも残っている。敵の6分の1の5000人の兵士たちがイブラヒム・パシャの軍勢から砦を守るために戦った。

彼らは6ヶ月間力強く砦を守った。この戦いでサウジ軍の1200人が命を落としたのに対し、パシャの軍勢の死者はその10倍だった。サウジの兵士たちを率いたのはイマーム・アブドゥラー・ビン・サウードだ。

最終的に包囲戦が終わるとオスマン軍はナジュドから撤退したが、その前に建物や砦を破壊してディルイーヤを荒廃させていった。また、ナツメヤシの木を残らず切り倒すことで、長年にわたる忍耐強い栽培の努力を無に帰し、広範囲の住人を飢餓に追いやった。

ディルイーヤとアトゥライフ地区は荒廃したまま放置され、騒乱、暗殺、内戦に引き裂かれ、1891年にはイブン・ラシード氏族に占領されたが、生き残ったサウード王族の心の中に残り続けた。

皇太子殿下は、他のギガプロジェクトと共にディルイーヤが認められたことは「独自の文化的・歴史的な観光名所を持ったユニークな観光地としてのディルイーヤの地位」を反映していると述べた。(SPA)

1902年、追放された第二次サウード王国の最後のイマームの息子である16歳のアブドルアジーズ・イブン・アブドル・ラフマン・アル・サウードと少人数の戦士の集団が、アトゥライフの南東20kmにあるマスマク城塞を襲撃し王位を奪還した。

彼は1932年9月23日、リヤドをサウジ国家の新たな首都として、国を東から西まで統一した。その40年後、ディルイーヤは再び栄えることになる。今度は急速に拡大する首都の郊外にある新しい町として。

時代は飛んで2017年、ディルイーヤをグローバルな歴史的・文化的・ライフスタイル的中心地に変えるという野心的な計画が立ち上げられた。

この計画は、サウジアラビアのGDPに270億サウジリヤル(71億ドル)の貢献をするとともに、5万5000人の雇用を創出し年間2700万人の観光客を呼び寄せるとされている。

この計画が完了すれば、ディルイーヤは28以上の高級ホテルやリゾート、約400の世界最高級のラグジュアリー&ライフスタイルブランド、150以上の高級レストランやプレミアムカフェを誇ることになる。

伝統的なナジディ建築様式で建てられた3000戸以上の住宅に加え、300以上の高級ブランド住宅も作られる。

ディルイーヤには新たな学術機関として遺産・文化・芸術に焦点を当てたキング・サルマン大学が創設されるほか、ナジディ建築様式、日干しレンガ建築、詩、鷹狩り、コーラン暗唱、地元の演劇、舞踊、音楽、料理などを専門に扱う新たな文化機関もいくつか設立される。

その他の文化資産としては、1万人以上の礼拝者を収容できるグランドモスク、サウジの歴史を中心に扱う6つの博物館(ユネスコ世界遺産のアトゥライフは言うまでもなく、ピリオド・ヴィレッジが充実)、地域の農業遺産に焦点を当てるアル・タレー・センターなどが作られる。

ディルイーヤは装飾と建築で知られる。(提供写真)

これらの展開はより広い地域でも注目を集めている。ディルイーヤは2030年の「アラブ文化の首都」に選ばれた。また、既に「JAXアート・フェスティバル」や「ディルイーヤ現代アート・ビエンナーレ」の開催地にもなっている。後者は、芸術的・創造的ムーブメントを支持しサウジアラビアの文化的変革への追随を支援するためのプラットフォームだ。

ディルイーヤは他にも数多くの大きなスポーツイベントの開催地となる予定だ。特徴的な道路網があるため、長年にわたって世界的に有名なレースイベント「フォーミュラE」の定番の開催地の一つとなっている。また、中東で初めて開催されたヘビー級ボクシング選手権「砂丘の激突」の舞台ともなった。

サウジのストーリーやアラビア半島の歴史において大きな力と重要性を持つディルイーヤは、かつては放棄された都市でありながら再び脚光を浴び、サウジアラビアという王冠の宝石となっている。

特に人気
オススメ

return to top