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ディルイーヤ:何世紀もの歴史を持つ巡礼キャラバンの中継地

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22 Feb 2023 03:02:43 GMT9
22 Feb 2023 03:02:43 GMT9
  • 第一次サウード王国の市場は地域の産物や、巡礼者が売るために故郷から持ってきた品物で溢れていた
  • ビジョン2030のプロジェクトはサウジ国民に数千年の歴史を持つ遺産を深く掘り下げる機会を与えている

ラハフ・ジャムビ

リヤド:イスラム五行の5番目であるハッジは、預言者イブラーヒーム(彼に平安あれ)がメッカの「神の館」カアバの礎を築いた時から、いくつもの時代にわたって行われてきた。

イスラム教が誕生すると世界中のイスラム教徒がアラビア半島を訪れるようになり、アル・ヤママは東方からイスラム世界に来る巡礼者にとって最も重要な中継ルートの一つとなった。

第一次サウード王国の首都であったディルイーヤは、アラビア半島で最も重要な渓谷の一つであるワディ・ハニファのほとりにあるアル・ヤママ地域という要衝にある。

サウジアラビア王国史の専門家であるモハメド・アル・アブドゥル・ラティフ博士はアラブニュースに対し、この道の重要性について語る。

「ディルイーヤはアラビア半島の中央部にあり、1446年に建設されました。しかし、巡礼ルートの起源は当然それよりはるか以前にまで遡ります。イスラム世界の東方からの巡礼ルートはイラクを通り、それからアル・アハサ、さらにアラビア半島の中央部へと続いていました」

この道は、マニ・アール・ムライディ王子がディルイーヤを建設して以降、その重要性を増した。王子やその後継者たちはこの道の安全確保に努めた。

1727年にイマーム・ムハンマド・ビン・サウードが第一次サウード王国を建国し、この道を通る諸部族との関係強化に取り組むとともに、道の治安を管理することで彼らと合意すると、この道は貿易キャラバンや巡礼キャラバンにとって最も重要な道の一つとなった。

ディルイーヤの市場は地域の産物や、巡礼者が売るために故郷から持ってきた品物で溢れた。

アル・アブドゥル・ラティフ博士はアラブニュースに対し次のように語る。「ディルイーヤの王子たちや第一次サウード王国のイマームたちはもてなしの心を重んじたため、これらの巡礼者たちがもてなされ快適に過ごせるよう配慮しました」

その結果、ディルイーヤには商人や学者が集まり、時が経つにつれてその人口は大きく増えていった。都市は拡大し、事業主や求職者を引き付けた。

「巡礼者がメッカからディルイーヤに行くには20日から1ヶ月かかりました」とアル・アブドゥル・ラティフ博士は言う。この道を通ることには困難が伴ったが、王国の指導者たちは道の安全と使いやすさの確保に尽力したのだという。

ディルイーヤに来た巡礼者や商人は、西側のアトゥライフ地区と東側のアル・ブジャイリ地区の間にある季節の市場(スーク・アル・マウシム)を訪れた。

「王国ができる前は治安と安全がありませんでした」とアル・アブドゥル・ラティフ博士は言う。「王国はこの問題の解決に取り組み、巡礼ルートは安全になりました。権力者が身の安全を保証してくれるので、巡礼者は問題なくメッカに行くことができたのです」

王国によって安定性が確保されたこと、またディルイーヤが交易路の要衝にあったことの結果として、季節の市場(スーク・アル・マウシム)は繁盛した。

アル・アブドゥル・ラティフ博士は語る。「有名な話があります。ある旅人がイマーム・アブドルアジーズ・ビン・ムハンマドに対し、小さな袋をなくしたと言いました。それを聞いたイマーム・アブドルアジーズは、その地域の王子に指示して旅人の小さな袋を探させたのです。その袋は盗まれていたことが分かりました」

「袋泥棒は罰せられ、袋は故郷のペルシアに帰った持ち主のもとに送られたということです」

この市場の役割は商業の動きのみに限られなかった。学問の場ともなったのだ。イマーム・サウード・ビン・アブドルアジーズは毎日、日の出とともにこの市場で評議会を開き、多くのディルイーヤ住民が集まって参加した。

ディルイーヤを出発した巡礼者は、次のうちいずれかの道を通った。最古の道の一つであり最も危険で起伏の多い道でもあるアバ・アル・クド道と、人通りの多いアル・サバ・マラフ道である。

第1の道:アバ・アル・クド道

現代ではタラット・アル・クディヤという名前で知られているアバ・アル・クド道は最古の道の一つだった。

ディルイーヤの巡礼者はサムハン地区のディルイーヤ評議会に集まり、タラット・アル・ナシリヤーからイルカに向かった後、キディヤの下り道を通った。

この道は非常に険しく起伏が多かったため、ラクダが倒れてしまうことも多かった。道はその後、クスール・アル・ムクベルおよびアル・ムザヒミヤへと続いた。

第2の道:アル・サバ・マラフ道

アル・サバ・マラフは比較的新しい道だ。

メッカに向かう人はワディ・ハニファを通ってディルイーヤを出た後、北のアル・ジュバイラに向かった。そこには検問所、井戸、モスクがある。

その後、巡礼者はアル・ウヤイナに向かい、そこからワディ・ハニファの支流の一つシュアイブ・アル・ハイシヤに行った。そして、7ヶ所のカーブがあるアル・サバ・マラフ道に入った。

巡礼者はその後、巡礼ルートの主要駅の一つであるマラットに到着した。ここには王国東部からの巡礼者が集まった。

アル・アブドゥル・ラティフ博士は、これからの世代がディルイーヤやサウジアラビアのその他の地域の歴史について学ぶことが重要だと考えている。

「ビジョン2030はサウジアラビア王国のあらゆる地域における文化と歴史の豊かさに大きな焦点を当てていると思います」と同博士は言う。「ビジョン2030は我が国の歴史をさらに深く研究し、数千年の歴史を持つ遺産を深く掘り下げる機会を与えてくれています」

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