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リヤド、規制解除から数年で地元の音楽シーンが急成長

The Warehouseはリヤドでも有数のパフォーマンス・スペースだ。今日のサウジアラビア人は、以前とは異なる社会で育っている。若者たちは、会場や企業がサウジアラビアで新しいミュージシャンを育てる手助けをしてくれることを願っている。(AN photo)
The Warehouseはリヤドでも有数のパフォーマンス・スペースだ。今日のサウジアラビア人は、以前とは異なる社会で育っている。若者たちは、会場や企業がサウジアラビアで新しいミュージシャンを育てる手助けをしてくれることを願っている。(AN photo)
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27 Jan 2024 02:01:14 GMT9
27 Jan 2024 02:01:14 GMT9
  • サウジアラビア人を海外で教育する政府プログラムは、社会がより芸術を受け入れる道を切り開いた

アラブニュース

リヤド:リヤドでは、メタリカ、ファレル・ウィリアムス、ポスト・マローンといった大物アーティストによるコンサートやフェスティバルが開催されてきたが、ライブミュージックの規制が解除されてから数年で、小規模な会場で演奏する地元ミュージシャンらの草の根音楽シーンが急成長している。

そのような会場の中でも、最初であり最もよく知られているのが、サウジアラビアの首都の北の郊外にある小さな劇場スペース「Syrup」だ。

Syrupは、当時は省庁職員だったモスタファ・シラー(Mostafa Shirah)さんによって2018年に設立された。シラーさんは海外旅行でカラオケやオープンマイク・ナイトに目覚めたという。

2016年にサウジアラビア王国の総合エンターテインメント庁が設立され、音楽が公的な場に戻り始めたとき、シラーさんにとって、自身でコンサートをオーガナイズし始めることは、それに続く自然な流れだった。

コンサートの第1弾は2017年で、女性ミュージシャンによる珍しい公の場での演奏が行われた。シラーさんは2018年に会社としてSyrupを設立し、2019年に会場をオープンした。

この種の会場としては市内で最も早い時期のものであったため、課題もあった。ひとつは、音楽会場の開設に関する規制が不明瞭だったことだ。

「当時は文化省がなかったため、この場所の意味を理解してもらうためだけに、6つの異なる団体から6つの異なる許可をとらなければなりませんでした」とシラーさんはアラブニュースに語った。

もうひとつの課題は、コンサート会場の経験がほとんどない都市における世間の認識だった。「オープン当初は、バーかパブだと思われていました」とシラーさんは言う。

しかしすぐに、Syrupのオープンマイク・ナイトは、長年の規制の後で、スポットライトを浴びるチャンスを歓迎したさまざまなパフォーマーたちを魅了し始めた。

シラーさんは、最初の歌手のひとりがニカブをかぶった女性であり、もうひとりは、それまで人前で歌ったことがなかった40代の男性だったと振り返る。

シラーさんは、現在のサウジアラビア人が、自分が若い頃に知っていた社会とはまったく異なる社会で育っていることを認識しており、会場や企業が新しいミュージシャンを育てる手助けができることを願っている。「私たちが18歳のときに経験したようなことを、人々が経験しないようにしたいのです」とシラーさんは言う。

モハメド・ドサリー(Mohammed Dossary)さん(21)は、非常に保守的な家庭で育った。宗教の制限的な解釈に従って、ドサリーさんの両親は音楽を全面的に禁止した。「もし私が音楽を聴いているのを見つけたら、罰を与えたことでしょう」と彼はアラブニュースに語った。

しかし、内緒でポップスター、シーアのヒット曲「アンストッパブル」に出会い、芸術を愛するようになった。

「それ以来、何か違うものを感じるようになりました。音楽は癒しですから、これは毎日聴くべきものだと感じたのです」とドサリーさんは言う。

2022年11月、ドサリーさんは文化省が後援するクリエイティブ・ハブ、ジャックス地区にあるリヤドのもうひとつの著名なパフォーマンススペースである「The Warehouse」を訪れた。

「自分らしくいられたのは初めてでした」「19年間、自分の部屋に閉じこもり、一人で音楽を聴いていました。The Warehouseで、自分とまったく同じような人たちを見つけたのです」と彼は言う。

彼はそこで、同じような体験を共有し、ちょうど生演奏の楽しさを知り始めた仲間に出会った。ドサリーさんはドラムを習い始め、いつかバンドを組みたいと願っている。

ドサリーさんの家族も彼の音楽好きを理解するようになった。家族は若い頃、ファイルーズなどのアラブのミュージシャンをよく聴いていたのを覚えている。

「問題は、両親は彼らの姉や弟たちが私を批判し、自分たちを批判することを恐れ、叔父や叔母たちは祖父たちに批判されることを恐れているということです」とドサリーさんは言う。

「みんなが批判されることを恐れているのです。皆がただ人生を楽しむために、この流れを壊したいのです」

リヤドの音楽シーンで急速になじみの顔になりつつあるバンドのひとつが、女性だけの4人組サイケデリックロックグループ「Seera」だ。

ギタリストのハヤさんは、ベーシストのミーシュさんがInstagramでドアーズの「L.A.ウーマン」をカヴァーしているのを偶然見つけ、すぐに友達、そしてバンド仲間になった。

ボーカルとキーボードにミーシュさんの妹のノラさん、ドラムにイリハム(通称ザ・シング)さんが加わってメンバーが確定し、2022年の最初のミーティングでは9時間のジャムセッションを行い、絆を深めた。

「楽しい感じがしたのです」とノラさんはアラブニュースに語った。「一緒にいると、私たちの内なる子供はただ楽しくて、動いて、踊って……私たちは自分たちらしくあることが許されているのだと感じたのです。それはとても大切なことなのです」

Seeraは急速に人気を集めており、最近では、MDLBeast(大規模フェスティバル「サウンドストーム」の企画会社)が主催するジャックス地区でのXP Music Futuresイベントや、ダカール・ラリーの開幕を飾るアル・ウラーでのギグに出演した。

音楽シーンがほとんどアンダーグラウンドのみだった頃を思い出しながら、イリハムさんはアラブニュースに対して「10年前にはチャンスなんてありませんでした。私たちは隠れて演奏していたのです。極秘で活動していました」と語った。

ミーシュさんは「こんなことができるようになるなんて思ってもみませんでした。5年ほど前までは、まったくそんな雰囲気はなくて。音楽シーン全体がほとんど何もないところから芽生えてきたのです」と言う。

作曲や演奏とあわせてバンドの原動力となっているのは、サウジアラビアの若い世代の女の子たちの模範となることだ。

幼い頃のハヤさんにとって、「ミュージシャンになること、バンドに参加すること、そういったことは私の世界には存在しませんでした。もし14歳のときに、音楽を作っている年上の女性がいることを知っていたら、もっとやる気が出たと思うのです」

同バンドは初のEPをリリースし、年内にアルバムを完成させる予定だ。ミーシュさんは、「私たちはグローバルに活動したいと思っています。いつかコーチェラ・フェスティバルで演奏することなどは、私たちのとても大きな夢なのです」と言う。

サスティナブルなカフェ兼アートセンター「Cosefan」のサミ・モハメッド(Sami Mohammed)さんは、リヤドの音楽シーンについて少し違った見方をしている。

モハメッドさんにとって、リヤドの音楽シーンはなにもないところから突然生まれたものではなく、以前から水面下で湧き上がっていたものだ。

「10年前、30年前、そして50年前にも、ミュージシャンやアーティストがいました。しかし、近年はますます増えています」とモハメッドさんはアラブニュースに語った。

サウジアラビア人を海外で教育する政府プログラムは、社会がより芸術を受け入れる道を切り開いたと彼は言う。

「社会としては受け入れる準備は十分できていました。規制が芸術シーンに対して寛容になると、社会はより多くの芸術をよりスムースに見せられるようになりました」とモハメッドさんは語った。

2022年に設立された同カフェは、陶芸教室や絵画教室など、多くの芸術活動のハブとなっている。また地元のジャズプレイヤーを中心に、ミュージシャンによるライブを週に何度か開催している。

「Cosefanで演奏しているミュージシャンたちは、ここ2、3年で音楽を学んだわけではありません」とモハメッドさんは言う。

「以前もミュージシャンはいました。今は、人前で披露し、みんなと分かち合う機会が増えただけです」

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