


東京:明るい看板が並ぶ東京の通りを下り、狭い階段を上ると、ドアの向こうに、常連客には長く愛されているが観光客には秘められた世界「スナックバー」がある– これまでは。
スナックバーは日本全国にある居心地の良いレトロな店で、しばしば小さなビルの中にあり、窓のない空間には夜遅くまで響くカラオケシステムを備えている。
「ママ」と呼ばれる女性が切り盛りしているのが一般的で、ナッツやイカの一夜干しなどのおつまみと、簡単な料理と一緒に酒を飲みながら、客とおしゃべりをする。
戦後から日本のナイトライフに欠かせない存在であるにもかかわらず、隠れ家的なバーの狭い空間は、特に言葉が通じない人にとっては敷居が高い。
そこである会社は、新橋のビジネス街にある「くりやっこ」のようなスナックへのガイドツアーを提供している。
店内では、薄暗い照明が赤い壁のタイルに暖かく反射し、アールデコ調のポスターを照らしながら、アメリカ人家族が『ヘイ・ジュード』や『テイク・ミー・ホーム、カントリー・ロード』を口ずさんでいる。
かつて日本に住んでいたノラさんは、両親、妹、叔母、叔父のためにこのツアーを予約したとAFPに語った。
「スナックの看板はいつも見ていたけれど、どうやって入ればいいのか、どうすればいいのかわからなかった」と、現在サンフランシスコを拠点に活動する30歳の彼女は、苗字は匿名にしてほしいと言った。
「私の家族はあまり日本に来たことがないので、バー文化を実際に体験するいい機会でした」と、彼女は「陽気 」で 「親密 」な様子で語った。
淡い色のスマートな着物に身を包み、伝統的なアップスタイルの髪を結っているのは、「くりやっこ」を25年間経営している 「ママ 」こと淡路くりさんだ。
スナック横丁にあるこの店は日本に約10万軒あるスナックのひとつで、ほとんどが女性によって経営されているが、中には男性の「マスター」がいる店もある。
初期のスナックから少しずつ屋内の様子は変わり、手の込んだ料理を作らなくても女性が経営できるような小さな店になっていった。
五十嵐氏によれば、その多くは離婚して一人で子供を育てていた。
「子供たちがいる日中に働くのは難しいので、子供たちが寝た後、女性たちはカウンターに立って夕方から働いたのです」と彼女は言う。
五十嵐さんによると、1950年代から60年代にかけて、日本には20万軒のスナックがあったと言われているが、「ママ」たちが引退したり、売り払ったりしたため、その数は減少している。
記録的な数の観光客が日本を訪れる今、スナック横丁のツアーへの関心は高まっているという。
「くりやっこ」のような定番スポットだけでなく、即席のパッティンググリーンがあるゴルフバーなど、同社のガイドはテーマ別のスナックを案内している。
また、スナック文化を体験したいが、一人で閉まったドアをノックするのは気が引けるという日本人女性のためにツアーを催行することもある。
何年もの間、バーの客層はほとんど男性だけだったと五十嵐氏は言う。
しかし、女性の社会進出が進むにつれ、スナックは「彼女たちの憩いの場、あるいは『ママ』に悩みを打ち明ける場」となった。
人々はソーシャルメディア上で話をする傾向があるが、嫌なことがあった後は、顔を合わせてのコミュニケーションに勝るものはない、と彼女は付け加えた。
「スナックでは、人々は互いの目を見て、見知らぬ者同士でもすぐに打ち解けることができるのです」
AFP