
タレック・アル・タカフィ
メッカ:ダスト・オーナメント文字、または「カラム・アル・グバール(Qalam Al-Ghubar)」は、極小のフォントで知られている。
現在では絶滅してしまったこのアラビア文字は、肉眼で見ることが困難なほど小さなフォントで書かれており、伝書鳩を使った文通に利用されていた。
カーバ神殿の書道家であるムフタール・シャクダル氏がアラブニュースに語ったところによると、ダスト・オーナメント(Dust Ornament)文字はリアス文字から派生して10世紀に初めて登場した、非常に小さな丸みを帯びた文字である。
この文字の発明者は、トゥルース文字とナスク文字からもその特徴をいくつか借用している。
シャクダル氏によると、ナスク文字やトゥルース文字が時の試練を乗り越えてきたのに対し、カラム・アル・グバール文字は読み書きが困難なため、すぐに消えてしまったという。この時代の文字としては他に、ルカーア(Ruqa’a)、ディワニ(Diwani)、クフィック(Kufic)などが現存している。
シャクダル氏は、何人かの書道家がカラム・アル・グバール文字を復活させようとしていることを明らかにした。多くの文字が、何世紀も経つと、より効率的な文字が現れたことで消滅してきた。
以前は、ヒジャジ、マッキ、マダニ、クフィなど、それぞれの文字が生まれた地域の名前をとって命名されており、そういった文字には多くの類似点があった。
その後、文字の形や用途に合わせて名前が付けられるようになった。たとえばアル・ディワニ文字は、ディワンで使われていたことに由来する。
書道家のウクラ・アル・ハマド氏が語ったところによると、「ダスト文字は、16世紀のサファヴィー時代にイランで発明されたアラビア文字のターリクとシクスタに似ています。非常に小さいので、ダスト文字と呼ばれていました。
「サンプルを見たことがあります。確かに、見向きもされなかったターリク文字に似ていて、非常に細かいです。尖った針のようなペンで書かれています」
モハメド・アル・シャルカウィ氏によると、ダスト文字は、ディワンがデータや動作命令を送信するために使用していた。
シャルカウィ氏の説明によると、この文字は塵のように細かく、肉眼ではほとんど見分けがつかない。また、オスマントルコでは、金や銀の箱に保管されていた聖典の小冊子を書くために考案されたと伝えられている。
ダスト・オーナメント文字を使用した有名な書道家は、イブン・ザムハル・イスマイル・ビン・アブドゥラー氏である。イマーム・アル・アスカラニ氏はイブン・ザムハル・イスマイル氏のことを、「ダスト文字を書くことにおいては、当時の奇跡でした。小さな米粒にスーラ・アル・イフラース(Surat Al-Ikhlas)を、すべて読めるほど明瞭な文字で書いたのです」と語っている。