
Sherif El Touny著
2019年10月12日
カイロ:元エジプト柔道王者のモハメド・アリ・ラシュワン氏は、世界的な舞台においてエジプトおよびすべてのアラブ諸国双方を代表した、世界で最も著名なアスリートの一人である。
スポーツ界における功績に対して、ラシュワン氏は受勲式典で日本の徳仁天皇から旭日章を授かる。
「日本は、私がエジプトにおける柔道の広がりおよび日本とエジプト間のスポーツにおける関係強化双方を実現した張本人であると考えています」と、ラシュワン氏はアラブニュースとの独占インタビューで語った。
「どんな選手であれ、高潔なモラルとスポーツマン精神を持たなければなりません。日本はこれまで、私がライバルに行ってきたことを決して忘れませんでした。」
ラシュワン氏は、1984年のロサンゼルスオリンピックで、負傷していた日本人アスリート山下泰裕氏と対戦した決勝での敗戦に言及していた。
ラシュワン氏は、それまでの予選すべてに勝利を収め、当時の世界王者であった山下氏との決勝に進んだ。
「私は、彼がトーナメントの予選で脚を負傷し、本来の強さを発揮できないことを知っていました。しかし、私が勝利したのは、山下氏が負傷していたためであると、いつの日か言われることは望んでいませんでした。それは自分自身として受け入れ難いものでした。」
「当時、私は左右両サイドを攻撃する傾向がありましたが、決勝の舞台に立っている間は、力を込めて相手の負傷している脚を攻撃することはできませんでした。我々は寝技の体勢になり、彼が私の動きを封じて、オリンピックのタイトルを獲得しました。」
「日本人は、親愛と感謝の気持ちで私を歓迎し、私はそのお返しに、親愛と敬意を表しました。」
「私は日本人女性と結婚し、3人の子供がいます。」
国連教育科学文化機関は、ラシュワン氏のスポーツマン精神を称える声明を発表し、同氏にスポーツスピリットメダルを授与した。
さらに同氏には、フランスの国際オリンピック委員会から、1985年フェアプレー賞および世界最優秀アスリート賞が授与された。
エジプトでは、ホスニー・ムバーラク元大統領から表彰を受け、共和国賞を2度受賞した。
ラシュワン氏は、エジプト第二の都市アレクサンドリアで生まれた。同氏は最初バスケットボールに夢中であったが、友人が稽古をする様子を見て柔道を始めた。彼は稽古を始めてからわずか6か月後に、アレクサンドリアの18歳未満王者となった。
1975年にラシュワン氏は、当時のチェコスロバキアへと向かい、初の国際試合に参戦した。また同年には、スペインで行われたトーナメントでも戦った。
1980年には、米国コロラド州で行われた世界軍人選手権で銅メダルを獲得した。さらに1982年には、重量級で2つの金メダルを獲得し、翌年のトーナメントでもその座を防衛した。
同氏は、第11回地中海競技大会の95kg超級で銀メダルを獲得し、世界柔道選手権では13個の金メダルを含む、31個のメダルを獲得している。
ラシュワン氏は、柔道はエジプトに広がっているものの、複数の地域におけるクラブがより良くなることを願っている。「残念ながら、メディアは一部のスポーツを重視して、それ以外を無視します」と同氏は語った。
「エジプトのメディアが柔道に焦点を当てるようになればいいと思います。」