

東京:ギャラリーA4では、人生の重要な部分をパキスタンーアフガニスタン国境の難民支援に捧げ、日本人のみならず、パキスタンやアフガンの人々からも非常に高く評価され、惜しまれる人物となった医師、中村哲博士の軌跡を辿る展示が行われている。
中村医師は、クナール川の支流を通じて乾燥したナンガルハル渓谷の灌漑を支援し、65万人以上のアフガニスタン人とパキスタン人を救ったとされる。
このプロジェクトを成功させるために、彼は近代的な設備を必要としない江戸時代の技術を利用し、作業は渓谷の地元住民たちがすべて手作業で行った。
ソ連との戦争中、ペシャワールの山岳地帯や僻地、そしてアフガニスタンでハンセン病患者の治療に携わったこの医師は、農業の発展が栄養失調や病気の問題を解決する主な解決策の一つであることに気づいた。
35年間にわたって医師とともに働いてきた平和医療協会の担当看護師、藤田千代子氏は、木曜日に東京の田中建設にあるギャラリーで開かれた会見で中村医師の言葉を披露、中村医師が「地元住民が自らの発展の中心であることが必要だ」と言っていたと語った。
2019年に灌漑事業に従事していた中村医師がダーイシュによる襲撃で突然亡くなり、中村さんが支援した人々やフガニスタンと日本の指導者らは悲しみに包まれた。彼の死後も現地で活発に活動していた 2 つの団体、平和医療サービスとペシャワールの会が、これら辺境地域の開発における彼の活動の継続を支援している。