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金融危機の教える大切な教訓――沈めば浮かぶ

25 Mar 2020
ニューヨーク証券取引所のトレーディングフロアで勤務中のトレーダー。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延にともない同所は期限を切らず閉鎖される準備に入る。(ロイター)新型コロナのパンデミックが引き起こした経済損失に立ち向かうべく、各国の中央銀行や国家予算を動員しての資金援助にまで。(AFP)
ニューヨーク証券取引所のトレーディングフロアで勤務中のトレーダー。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延にともない同所は期限を切らず閉鎖される準備に入る。(ロイター)新型コロナのパンデミックが引き起こした経済損失に立ち向かうべく、各国の中央銀行や国家予算を動員しての資金援助にまで。(AFP)
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Updated 25 Mar 2020
25 Mar 2020

フランク・ケイン

いま株式市場は史上最悪レベルの凶悪な暴落のただなかにある。この2週間、世界中どこも株という株が大打撃をこうむるなか、終わりがいずこなのか直言できるような者もいない。

が、終わりはある。それは私が請け合ってもよい。数え上げるのもうろんなほどの長年にわたる記者生活で私は、金融市場の浮き沈みを追ってきた。いずれ必ずもとに戻る、すなわち沈めば浮かぶのだ。

新聞業界では「凶報が吉報」なんだろう、などとメディアを冷笑する向きは言う。その言わんとするところは、一般読者の生活が脅かされるようなニュースがあれば、部数は伸びるし一斉に注目も集まる、というものだ。

株式市場の暴落が金融記者の飯の種であることは認める。まあ言ってみれば、政治記者にとっての総選挙、スポーツライターにとってのワールドカップ決勝、ハリウッドへの特派記者にとってのオスカー賞授賞式に同じいものなのだ、われわれ朴念仁記者にとっては。

今回の暴落はこれまでのものとは異なる。どう異なるのかは追い追い述べていくこととするが、1987年、2000年、2008年と、私が切り抜け記事にしてきた大きな暴落も三者三様ではあった。

またこれらはどれも、金融史上著名な1929年の大暴落とも様相を異にしていたと思われる。1929年の大暴落といえば、いまだ株価暴落の代名詞といった感もある。株式相場が暴落したと聞けば、たいていの人が東奔西走する仲買人やスープを求める行列のシーンをたちどころに思い浮かべるのではなかろうか。

が、1987年にはそうした映像は私の脳裏には微塵もなかった。私は10月19日の朝、ロンドン都心部の職場まで何とかたどり着いていた。その日はブラックマンデーだ。週末にかけてロンドンでは本物のハリケーンが襲っており、倒木や被災建築物のせいで通勤もおぼつかなかったのだ。

そのころのロンドンは、金融記者にはいい時代だった。十年来ほぼ株価は上昇していたし、また、ゴードン・ゲッコーばりのセンセーショナルな乗っ取り合戦の時代でもあった。見出しに踊る「利益・配当増」だの「XYZ社の次の獲物はABC社」だのといった文字は実際目の前にあることを書いていたのだ。

それから48時間の間に起きた出来事が私の金融市場に対する見方を変えた。市場というのは活況を呈するだけのものではなく、激越に過大評価され死の淵にみずから飛び込むようなことをする――ということがわかった。その月曜日、ロンドンの株価指数は数時間で11%急落し、何十億ポンドもの株価が跡形もなくなった。

ちょうど街をハリケーンが襲いズタズタにしていたため、多くの仲買人がオフィスにたどり着けず結果として売り注文も出せなかったわけだが、それがなければ被害はもっと甚大だったはずだ。リモートワークやら携帯電話などまだない時代の話だというのが何だか奇異な感じもする。

翌日になってトレーダーたちは前日のぶんを取り戻すように何とかして職場にたどり着くと、さらに13%ぶんの株価を売り叩いた。ロンドンの株式市場の歴史で2日にわたる最大の下落となった血祭りともいうべき出来事で、期を画する一事と映った。

が、そうでもなかった。ブラックマンデー後も日常は淡々と続き、株価指数は上昇を始め、いろいろあっても1990年代中は堅調に維持された。変調が訪れたのは2000年のITバブル崩壊だ。

そのころには私もすでに金融記者としてそれなりの経験を積んでおり、1987年のように取り乱したりはしないと腹を据えていた。投資の界隈ではインターネット革命の最初の息吹が「新たなパラダイム」をもたらすはず、との想定が膨れ上がり、マーケットも上向き基調ではあったのだが、私は危険信号のチェックに目を光らせていた。

今度も泣きの涙の物語となる、と確信した瞬間は正確に覚えている。シティのクラブでのことだ。そこは、洗練されたビジネスマンたちがその日のマーケット情報を語らうためにつどい、その後で結構なディナーへと向かう、といった風情の場所だ。

ピンストライプにカフス、非の打ちどころもなくなでつけられた銀髪の一同が並み居るなかで、チノパンとカジュアルシャツ姿の20代の若輩が一人。この男は大きな革のアームチェアに身をゆだねながらピンストライプの一団の一人に向かって投資計画を説いていた。相手は熱心に傾聴しているが、何度も同じ質問を繰り返すところから推すとどうやら取引の内容を理解していない。それはさておきふたりは握手を交わした。

災厄のもとはすべてそろっていた。立派な風貌の年かさのその男は、自分でも明らかによくわかっていない計画へ数百万ポンド相当の投資を依託したところだった。それから数ヵ月後には株価指数は長期的な下落の一途をたどり、一大愁嘆場の演じられるのがありありだった。あたら知識のない富裕な老年層、理解もせぬ「新たなパラダイム」に全財産をつぎこむの巻、である。

2001年9月11日、世界の資本主義の中枢であるニューヨークがテロ攻撃にさらされたことを受け、再度怒濤の売りが発動されることになり、傷口に塩となった。

しかし、世界中で不動産価格が高騰したことに力を得て株式市場はふたたび回復した。その後私は中東に住まいと仕事の場を移した。そして、わが新たな本拠ドバイでの暮らしやすさに一驚させられることとなった。

当地へ移った2006年当時は、それこそ、人工島パーム・ジュメイラから建設中のブルジュ・ハリファにいたるまで、毎日が目を見張るばかりの発展ぶりだった。ドバイは金融業の質と信頼性で「中東のスイス」だったし、暮らしも申し分なかった。

しかし、ロンドンかニューヨークのあたりだと思うが、どこかの賢い投資家の頭の中に、いずれは「ドバイの夢」の鼻っ柱をへし折り、ひいては世界的な金融破綻をちらつかせたいといった意向があった。これは債務担保証券(CDO)と呼ばれる概念で、銀行に抵当その他証券類などまでふくむ資産への共同出資から売却まで可能にする複雑な金融商品だ。2008年になって明らかになったとおり、ありとある危険資産が優良資産とごっちゃになり結局全体がダメになるという点に問題があった。

その年の9月、CDOの毒が効き、ニューヨークでリーマンブラザーズの破綻へといたった。これを受け、世界中の銀行が突如としてもろさを露呈した。ドバイのラジオ局に出演した私は当時これを「金融版911」などと発したため、デマを飛ばすなといたく批判を浴びたことを覚えているが、その後の展開を見れば、すくなくとも部分的には私の広げた風呂敷にも一分の理はあるとしておきたい。

2009年末には山なす重圧をドバイはもはや収束させられなくなった。政府系企業のドバイ・ワールドといえば魅惑に満ちたパーム・ジュメイラなどドバイを代表するあまたのアイコンを作った会社なのだが、そこが負債の返済に窮し、返済の一時停止(スタンドスティル)を模索中と発表したのだ。

ドバイはむろん、その他世界もこれを切り抜けたことは言うまでもない。当時《エコノミスト》誌がつけた見出しコピーが、アラブ首長国連邦のそのころの状況を一言で言い当てており、今でも語り草だ。「首は回らないが、首はつながっている」[訳注:原文は “Standing still, but still standing” で、「債務返済の一時停止」を意味する standstill の地口]。当てがあり、決断力があり、知己からささやかな助けがあるなら、何事であれ切り抜けられないことはない。たとえそれが世界的な金融破綻であっても。

と、いうことで目下の状況だ。今回の暴落は幾多の重要な点で従来とは趣を異にすると思われる。過去の暴落はすべて、根本のところは、多年にわたる資産価値のインフレと同時する金融システムの欠陥のようなことをどうにかすることでしのげるていのものだった。

これをなぞるように、2009年の暴落よりこのかた、世界市場ではひところ価格の高騰する時期があった。世界はいたって迅速にあの当時の災厄を乗り越え、株式その他の資産、ことにテクノロジーなりデジタル産業がらみへの投資にこの十年にぎにぎしくいそしんだ。債務もまたぞろ派手な山を築いた。

だが、新型コロナウイルスの感染拡大が起こる前は、相当長期にわたってこうした状況は続くだろうし、急伸に陰りが見えてもせいぜい小粒の「補正」をほどこす程度でしのげるだろう、というのが大方の専門家の見立てだった。目下起きていることは、ウイルスによる世界貿易と各国の国内経済の深刻な寸断のせいで、莫大な規模の経済活動が事実上停止しているということだ。過去の暴落とは正反対なのである。各国の国内経済というリアルワールドでまず始まり、それから金融システムへ波及したのだ。

別の面でも違いはむろんある。今回危機にさらされているのはひとり生活のみならず、生命そのものもそうだ。しかもこれは酸鼻をきわめかねないほどだ。かかる脅威がのしかかるなかで、株価だの財務指標だのの推移を見守るなど、心得違いというか、無体というよりなかろう。

だがこの先何週間何ヶ月と進めば、だれしも憂さも晴らしたくなれば希望のひとつももちたくなろう。世界の株式市場の回復まちがいなしといえる最初の目印探しはまたとない薬となるはずだ。だれでもよいが最初に目星をつけ、その判断にキャッシュで裏書きする者が、時期が好転するときには先陣を切っていた、ということになる。これはまず間違いない。われわれはつねに、転んでもただでは起きないのだ。

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