
東京:幼い頃、両親と共にミャンマーから日本へ亡命した渋谷ザニー氏は、東京でモデルとしてファッションのキャリアをスタートさせ、王族のための服を作るまでになった。
「ファッションは、私が生き残るための芸術です」と、先日バンコクで10周年記念ショーを開催したデザイナーはAFPに語った。
ランウェイには、葉っぱや目のモチーフ、シャツを着た男性モデルがカラフルなジャケットの下に身につけたジュエリーなど、東南アジアのデザインが取り入れられていた。
ザニー氏の両親は1993年、彼が8歳の時に政治難民として日本にやってきた。ティーンエイジャーの頃、彼にとってスタイリッシュな服装をすることがいじめを避ける方法となった。
母親から洋裁を教わったザニー氏は、スリムなシルエットと強い眼差しで、やがて東京のダンスフロアでモデルとしてスカウトされた。
「当時はインスタグラムもなかった」と彼は振り返り、そのため、見たり見られたりするためにバーやアーケード、プリクラと呼ばれる斬新なフォトブースに出入りしていた。
ザニー氏は、後に彼が自身の名字にした若者の街、渋谷によく行った。
「当時の渋谷は本当に危険だった。」と彼は言う。
キャリアが飛躍するにつれ、ザニー氏は2011年に自身の名を冠したレーベルを立ち上げた。
駆け出しのデザイナーは、ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏に70着のロンギー(腰で結ぶ伝統的な衣服)を贈った。
2012年にノーベル平和賞を受賞した際、彼女はライラック色のロンギーを着用し、その瞬間ザニー氏は「人生が変わった」という。
その後数年間、キャットウォークでの活動と並行して、ザニー氏は日本とミャンマーの仲介役を務めた。
2019年には、日本の三笠宮瑶子妃殿下がザニー・オリジナルに身を包んでミャンマーを訪問した際にも同行した。
2021年のクーデター以来、スーチー氏が拘束されている今、彼は母国を脱出する人々のために資金を集めている。
現政権が権力を掌握したとき、ザニー氏は助けを求めるメッセージを次々と受け取った。
「ミャンマーから多くの難民が国境を越えてタイにいきました」と39歳の彼は言う。
彼は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と協力し、東京でイベントを開催するなど、行動を開始した。
「ミャンマーの人々は誇りを失い、悲しんでいます。だから私はファッションの力で、彼らに自信と勇敢な心を与えたいのです」
ザニー氏のミャンマーでの仕事上の人脈は散在していた。それは彼が近年直面したなかの多くの課題の一部だ。
Covid-19のパンデミックにより、高級服のパーティーは中止となり、彼の高価な服の需要は減少し、最終的に彼は高級住宅街である表参道にあるショールームを放棄せざるを得なくなった。
ザニー氏の顧客であった政治家の安倍晋三氏は2020年に首相を辞任し、その2年後に射殺された。
しかし、ザニー氏は再出発に余念がなく、インテリアデザインにも手を広げている。
彼はまた、パリで開催されるオリンピックに先立ち、難民オリンピックチームのキャプテンのためにスーツを作り、いつかコレクションを発表したいと考えている。
現在、ザニー氏は東京北部のコンパクトなアパートでアトリエを営んでおり、壁にはミャンマーの牧歌的な風景を描いた小さな絵が何十枚も飾られている。
「美術教授だった祖父が、私が子供の頃ミャンマーが恋しかったので、これらの水彩画を作ってくれました」と彼は語った。
最近バンコクで開催された展示会は、タイ人の顧客からの需要を生み出し、ザニー氏は自身のルーツについて考えるようになった。
「自分はどこから来たのだろう?私は日本人デザイナーなのか、それとも他の何かなのか。ようやく『私は東南アジアから来たんだ』と気づいたんです」とザニー氏は語り、この「オリジナル」なインスピレーションの源に焦点を当てたいと付け加えた。
AFP