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佃煮と温かいご飯:誕生から何世紀も経った今でも、日本の定番

佃地区で、温かいご飯と一緒に提供されるマグロの佃煮の皿が登場する。(AP)
佃地区で、温かいご飯と一緒に提供されるマグロの佃煮の皿が登場する。(AP)
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09 Jul 2025 01:07:56 GMT9
09 Jul 2025 01:07:56 GMT9

東京:彼らの朝は午前 5 時に始まる。

父と息子は互いに言葉を交わさない。その必要はない。彼らは、ほとんど機械のように、次々と仕事をこなしていく中で、ほとんど目を合わせない。額には汗の玉が光っている。

彼らは、この店で何年も同じ仕事をしている。大きな金属製の鍋で、日本の伝統的な料理「佃煮」を作っているのだ。

これは、現代の冷蔵庫が発明されるはるか以前から存在した保存食で、200年以上前の江戸の武士時代に遡る。

マグロの切り身、小さなエビ、海藻などの材料を、醤油、酒、砂糖の甘いシロップで煮込む。店の空気は湿り気があり、いがらっぽく甘い匂いが漂う。

今日は貝の佃煮:午前6時から7時まで2鍋、7時から8時まで2鍋を用意する。午後はレストランや店舗からの注文に応じて他の品を調理する。

煮ているものを攪拌することはできない。小さな具材は脆く、壊れてしまうからだ。

「父は古い人間だ」と小林義弘さんは、いら立ちと諦めが混じった声で言う。その淡々とした口調の奥には、受け継いだものへの深い愛と尊敬が隠れている。

ファッションブランド、デパートで働いていた小林さんは、当初、父親の仕事を引き継ぐつもりはなかった。しかし、後に帰郷を決意した。

父親は厳格で自分の意見に固執する人だと語る小林さんだが、今日は息子に話を任せて、記者がカメラを向けると「僕を撮らないで。カメラが壊れる」と笑いながら言う。

その起源と製造方法

小林家の工場兼店舗「ツクシン」は、東京の都心部、隅田川沿いの小さな町並みにある佃地区の片隅に隠れるように建っている。ここが佃煮の誕生の地だ——その名前は「ツクダで煮た」という意味にふさわしい。

「元祖」「創業」「第一号」と書かれた大きな木製の看板が、老朽した佃煮店の屋根に掲げられている。

現在では、佃煮は日本の定番料理となり、その発祥の地から遠く離れた近代的な工場で大量生産されている。

小林さんの店では、昔は木と炭で火を焚いた土鍋「かまど」で煮込んだ佃煮を、現在はガスで煮込み、大きな木製の「手皿」に盛り付ける。これは先祖代々受け継がれてきた伝統的な方法だ。この工程は手間暇がかかり、約1時間のゆっくりとした煮込みが必要で、一度に作れる量も限られている。

小林義弘さんは、西洋で最も近いものはジャムだと述べる。

正しい食べ方

佃煮は、トヨタやソニーのようなグローバル企業に支えられた高度な現代社会と経済を持つ日本が、世代を超えて受け継がれてきた伝統を、多くは小規模な企業を通じて維持していることを示す好例だ。

佃煮の基本的な食べ方は、温かいご飯と一緒に食べるもので、味噌汁や豆味噌汁と合わせることも多いが、酒のつまみとしても良い。佃煮は、おにぎりの具や「弁当」の簡単なおかずとしても使え、温かい緑茶を注いだ「茶漬け」のトッピングとしても適している。

全体として、米と佃煮が最高の相性だ。佃煮のアイスクリームやポテトチップスはおすすめできない、と小林さんは言う。正しい食べ方でないと、美味しくないからだ。
新しさは、佃煮を知らない外国人や若い日本人を含む人々に、その基本的なメッセージを伝えることにある。

佃煮の製造業者とは無関係の小林紀子さんは、東京で小さな店を経営し、アフリカやスカンジナビアなど遠方の国から輸入したアート作品、木製の人形、模様入りの服飾品など、様々な小物を販売している。彼女は、夕食時にチーズと共に佃煮の海苔を、日本酒を飲みながら食べるのが好きだと語った。

「特別なことではありません」と彼女は述べた。子供の頃から食べているからだ。

年を重ねるにつれ、腸に良い効果があることを実感しているそうだ。

AP

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