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TheFace:アル=バンダリ・ワエル・アル=アジュラン、サウジアラビアのビジュアルアーティスト兼歯科医

26 Oct 2019
アル=バンダリ・ワエル・アル=アジャン。(写真:アラブニュース、ジヤド・アラルファジ撮影)
アル=バンダリ・ワエル・アル=アジャン。(写真:アラブニュース、ジヤド・アラルファジ撮影)
Updated 26 Oct 2019
26 Oct 2019

アル=バンダリ・ワエル・アル=アジャン。私はビジュアルアーティストで、歯科医でもあり「Digital Smile Design & Emotional Dentistry(デジタルを使ってスマイルをデザインし、感情を大切にする歯科医術)」という組織の一員です。

歯科手術の分野で学士号を取得しており、2012年からベテランのヘルスケア管理者兼歯科医として働いています。感情的知性、感情に訴える絵画、芸術療法に力を入れています。

歯科医が治療用写真を撮るための指導をしているので、私は今でも自分のクリニックで笑顔を見ると幸せな気持ちになります。幸運にもフェニックス・ガレリア(Phoenix Galeria)という画廊のオーナーでもあり、こちらでアクリル画を描いています。

両方の仕事が相互に作用し、好影響を与えていると思います。結局のところ、歯科医術というのは医学と科学を基礎にした芸術なのです。

私は3歳のときに母、ハラ・アルハリディ博士に連れられアメリカに渡りました。母はキング・ファイサル専門病院 & 研究センターに勤務しており、サウジアラビア人女性として初めて薬学博士号取得候補者(臨床薬学奨学生)に選ばれました。

この間、私はアメリカとサウジアラビアを行き来し、ディズニーの冒険物語に描かれた世界と同様に、父親のプリンセス的存在で、妖精ティンカー・ベルの魔法の粉の存在を信じていたので、やがて自分が現在のような順応性のある人間になるのを悟っていました。

高校生になると、自分が幼いころ手に入れた道具が、今後役立つことに気付きました。私はリヤドに戻って祖父母と一緒に暮らし、一方で母はアメリカに留まってさらに高い学位を取得しました。

普通のティーンと同様、現実に様々な困難を克服しようと奮闘しましたが、他人と違うという点でひどく苦労しました。英語圏からアラビア語圏に戻って言語の変化に適応するのは、私がその後努力した事柄に比べれば些細なことでした。

高校3年生になると、私を育て面倒を見てくれた祖母が癌だという事実を知り、ショックを受けました。

祖母は生命に関わる病気の治療を受けていましたが、強い女性だったので、私に適切な教育を受けるよう断固として言い渡しました。サウジアラビアの歯科大学には入学できなかったので、祖母の全面的な支援を受け、私はエジプトに行きオクトーバー6大学に入学しました。教育だけでなく、心の姉妹となった生涯の友人も得られました。

大学2年生の時に残念ながら、祖母は癌との戦いに負けました。私が知る限り最強の女性が亡くなったのですが、教育を受けることが祖母と自分にとっていかに大切かを理解していたので、大学をやめることはありませんでした。その後は母が祖母の代わりとなり、私を支え続けてくれました。

大学生最後の年でインターンシップをしていた間、エジプトで「1月 25日革命」が起こりました。大規模デモにより人々が怪我を負い手術が必要な状況に対処するための柔軟さと粘り強さを、自分が備えていることを証明する必要に迫られました。そのため、私は顎顔面科長より指名され、インターンなのに監督なしで手術をすることとなりました。それ以前に自分がやってきた経験のみがベースでした。

私はリヤドに戻りましたが、歯科医の働き口を見つけるのは厳しいものがあります。しかし、落胆はしませんでした。スライマン・アル=ハビブ博士医療法人(Dr. Sulaiman Al-Habib Medical Group)に就職し、あっという間に管理職になりました。5年間勤務しましたが5つの役職を与えられ、同時にすべての病院で緊急治療と金曜日の診察が受けられるよう指揮する役割を担いました。

職場を変える必要が出たため海外で就職しようと思ったのですが、リヤドでやり残したことがまだあるという気がしました。

そのため、まずダラー病院に就職しました。

これまで遊牧民のような生活を送っていたので、人生における変化は当たり前になりました。ですから、心が安らぐ趣味を追求する時期が来たと感じたのです。絵を描くことに情熱を注ぐようになりました。

しばらく遠ざかっていましたが、絵を描くのは幼少期からの趣味で、あちこちを転々とする間片時も頭から離れず、いつの日か職業にしたいという夢をずっと抱いていました。しかしもっと重要なのは、人生で挫折を味わった時、絵を描いたおかげで自分の感情を表現し辛いことを乗り越えられたという点です。

感情的知性と芸術に裏打ちされた感情を表現する絵を描いたおかげで、新たな人生が始まりました… フェニックス・ガレリア

私の将来は無限のキャンバスのようなものです。毎日絵を描き続けており、色と色を混ぜ合わせています。絵を描くことで個人的にも職業上も影響があったように、自分の作品が他の人にも大きな影響を与えられたらと願っています。

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