
バグダッド、スアダッド・アル=サルヒ
アーディル・アブデル=マフディー首相の統治がイラクの政情不安を乗り越えられるかどうかは、彼の支持者と対立者が抗議運動、そして影響力の大きいシーア派聖職者のムクタダ・アッ=サドル氏からの結果的要求にどのように応えるかにかかっているでしょう、と政治家およびアナリストらは水曜、Arab Newsへ語った。
バグダッドおよびシーア派が支配する7つの南部の州では、汚職、高失業率、日常的サービスの不足に対して10月頭から集団デモが起こっている。アブデル=マフディー氏と彼の支持者はデモ参加者に対し厳しい取り締まりを命令し、少なくとも147人が死亡、7,000人以上が負傷した。これは、デモ活動を2週間中断させることに成功した。
だが先週の金曜、さらに大人数のデモ参加者が路上に戻った。国内および国際的圧力を受け、デモ参加者に対して実弾の使用を行わないと治安部隊が誓約した後のことだ。それでもイラクのHigher Commission of Human Rightsによれば、最低でさらに100名が亡くなり、5,500名が負傷した。政党事務所での警備隊および武装した派閥との衝突が起こり、この間に建物は攻撃され火がつけられた。
抗議運動の再開には、アブデル=マフディー氏の退陣、選挙法および早期議会選挙の改定を含む追加要求が伴った。
イラク最大の議会連合と武装派閥の指導者であるアッ=サドル氏は、デモ参加者の要求に支持を表明している。彼は何百万という信奉者を持ち、デモ活動に大人数を動員することができる。日曜に彼の事務所から発表されたメッセージで、サドル氏はアブデル=マフディー氏の辞任を要求した。また、国連監視下での早期議会選挙を行い、独立高等選挙管理委員会に新しいメンバーを任命し、国の選挙法を改定するよう求めた。
火曜、アブデル=マフディー氏は首相としての自らの地位は政治的に議会の合意によって決定されたものであり、アッ=サドル氏とその支持者らはその主要パートナーだった、と回答した。
アッ=サドル氏への「あからさまな」で「異例の」挑戦と一部から受け止められたこの回答は、イランからの同聖職者の帰国を早めた。数時間後には彼はナジャフへと飛び、空港からまっすぐ市の中心部のデモへと向かった。
自らの参加でデモを勢いづかせることに加え、彼はまた、アブデル=マフディー氏を政権から追放し、デモ参加者らの要求に対処するようハディ・アル=アミリ氏へ呼びかけを行った。アル=アミリ氏はイランが支援するアル=ビンナ同盟、2番目に大きな議会ブロックの指導者であり、アブデル=マフディー氏の最大の味方だ。
アル・アミリ氏はシーア派同盟者との3時間の会合の後、火曜夜遅くにこの呼びかけに応答した。メディアへ送付された書簡で彼はこう述べている:「イラク国民の利益を勝ち取り、国を救うため、私たちは力を合わせるでしょう。」
会合に参加したシーア派の有名な司令官は、Arab Newsに語った:「会合は、アッ=サドル氏の要請にどのように応えるかを議論するため、アル=ファッター(イラン人武装派閥に賛成の政党派)の指導者のみに限定されました。」
「アーディル(アブデル=マフディー)は終わりです。これを議論してはいません。この件(マフディー氏の免職)は、すでに合意済みのことです。現在の問題は、それをどのように発表するかです。武装派閥の全ての指導者がアッ=サドル氏と問題を抱えており、彼らの間の不和は何年も続いています。誰も、人々の支持あるいは政治的勝利を彼に渡したくないのです。 」
アッ=サドル氏は水曜、アル・アミリ氏と彼の支持者からの回答が「アブデル=マフディー氏が今退陣すれば、難局は深まるだろう」と示唆するものだったと語った。
しかしアル・アミリ氏とその支持者への直接のメッセージに、アッ=サドル氏はこう付け加えた:「アブデル=マフディー氏の(首相としての)存続は、さらなる流血、そしてイラクが新たなイエメンあるいはシリアとなることをを意味します。よって私はこれ以上、あなた方の同盟に加わることはできません。」
交渉に慣れた著名なシーア派指導者は述べた:「アル=ファッター指導者たちはアブデル=マフディー氏を見捨てました…ですが彼らは、アッ=サドル氏に教訓を教えたいのです。ですから簡単に、彼に身を委ねたくはないでしょう。彼らは事態を先延ばしにして時間を稼ごうとしています。可能な限り最後の瞬間まで、アブデル=マフディー氏への支持を表明し続けるでしょう。」
「しばらくの後、彼らはアッ=サドル氏と向き合い新しい政府に合意するでしょう。ですがその前に、アブデル=マフディー氏は先手を打って辞任するのではと私は思います。」