
ガザ市:ガザ地区とヨルダン川西岸地区のパレスチナの人々は木曜日、いまなお尊敬を集めるかつての指導者ヤセル・アラファト氏の没後13年を記念する集会を開いた。
敵対関係にあったパレスチナ人組織ファタハとハマスは先月10年に及ぶ対立に終止符を打つ画期的な和解合意を結んだ。今年の集会は両者がその内容を実行に移そうとするタイミングで開かれた。
パレスチナ人にとっていまなお偉大な存在であるアラファト氏は2004年11月11日、パリの病院で75歳で死去した。この時死因は明らかにされなかった。
ガザにおける集会は、現在は亡命先UAEで暮らすファタハのかつての上級幹部ムハンマド・ダーラン氏により企画された。
ダーラン氏の数千人の支持者はアラファト氏の写真やパレスチナ旗を掲げ、ステージ上にはアラファト氏と2004年にイスラエルに暗殺されたハマス創始者シャイフ・アフマド・ヤシーン氏の大きな写真が飾られていた。
ダーラン氏は出席していなかったがスピーチが代読された。
氏はかつて、現パレスチナ大統領マフムード・アッバス氏の側近の一人だったが仲たがいしてファタハを追放され、以後ライバルのハマスに接近した。ハマスは2007年からガザ地区を支配・運営している
和解の年
木曜日、西岸地区の町ラマッラーで開かれた別の集会にも多数のパレスチナ人が集まってアラファト氏の死を悼んだ。
「今年はこことガザ地区の和解の年なので、どうしても来たかったのです」と集会参加者サナー・アル = リファイは語った。
「この和解が良きスタートとなり、パレスチナ人の連帯の進展を見て殉教者 (アラファト氏) の魂に安らかに眠ってただきたいと思います」
アラファト氏はイスラエル建国後パレスチナ運動の指導者となり数千人が犠牲となった武力闘争を率いた。
数十年を経てアラファト氏は暴力を否定する立場に回り、(オスロ合意による和平が現実化することはないと見られていたが) ホワイトハウスの芝生の上でイスラエルのイツハク・ラビン首相と握手を交わした。
パレスチナ人は長年イスラエルがアラファト氏を毒殺したと非難しているが、イスラエル政府はこれを強く否定している。アラファト氏の遺体は調査のため2012年に墓から掘り出されたが、調査したフランスが毒殺の証拠を見つけることはなかった。
先月エジプトの仲介によってハマスはファタハと和解の合意を結んだ。これによりパレスチナ当局は12月1日までにガザ地区の支配権を回復することになるだろう。
ハマスは合意の効力が試される最初の一歩として11月1日に境界地区の管理権限をファタハに移譲した。ただここ数日、ガザ地区の治安維持については若干の緊張の兆候が見られている。
AFP