

アリ・カーレド
ジェッダ:宇宙から地球を見たことがある人は人生に対する見方が変わる。
アラブ人として、そしてイスラム教徒として初めてその人生の見方を変えたスルタン・ビン・サルマン王子は、ほとんどの人が想像もつかないような人生をすでに送っている。それは、常に次の成果を求めて努力するサウジアラビアのハングリー精神を象徴しているのかもしれない。
「そうですね、まだ本当にやりたいことは実現できていないので、時間をください。まだ始めたばかりなんですよ。でも、どんな経験もそれぞれの次元がありますから、私は経験を比較しないようにしています」とスルタン王子は含みのある笑顔で言った。
広大な宇宙から荒涼とした砂漠まで、大事なのはそれぞれの瞬間を生きることだ。
「私は砂漠でラクダと一緒に歩いていたかもしれない。スペースシャトルの体験は完全に別物でした。パイロットとして、私たちはとても興奮していました。でも、いざ宇宙に行ってみると、(スペースシャトルでは)パイロットの経験は役立たない。私はパイロットだから、もう少し遠いところから地球を見て楽しもう、というように思っていたわけです」と彼は話した。
スルタン王子が最近熱心に取り組んでいるのは、1970年代にサウジアラビア王立空軍のパイロットとして活躍した時代から好きだった小型ジェット機の操縦だ。また、1985年6月17日から6月24日まではスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗した。彼が車に夢中になったのもその頃で、自分の車、そして最終的にはF1に夢中になった。
初めてのサウジアラビア・グランプリの開催が迫っている。しかし忘れられがちなことだが、サウジアラビアのF1との歴史的なつながりは1970年代後半から80年代前半にまでさかのぼる。そして、それはスルタン王子の功績によるところが大きい。
1978年にコロラド州でフランク・ウィリアムズ氏(先週79歳で逝去)と出会ったことが、サウジアラビアのF1への第一歩となった。スルタン王子は、彼のことを純粋な愛情と共に覚えている。
これはサウジアラビアの産業になるだろうし、自身の手で作り、誇りに思うものになるだろう。技術や進歩、そしてもちろんドライバーの面でも、サウジアラビアが上回ることになるだろう。
スルタン・ビン・サルマン王子
「フランク・ウィリアムズ、彼の魂に神のご加護を。彼は良い人で、サウジアラビアを愛していました。私は、彼がこの(グランプリ)に来てくれることを本当に願っていました。来てくれたらチームの始まりについてテレビで共同インタビューをしようと話していたのです」と彼は言った。
1977年に設立されたウィリアムズ・レーシングのテクニカル・ディレクターで間も無くオーナーになるパトリック・ヘッド氏がサウジアラビアを訪れ、スルタン王子は彼を兄であり師匠であるファハド・ビン・サルマン王子やモハメド・アル・サウード王子に紹介した。
「それからスポンサーがつき始めました」とスルタン王子は言う。
チーム名の由来となったアル・ビラード社や、国営航空会社であり主要スポンサーでもあるサウディア社が、当時としては破格の10万ドルを投じてチームを支援したのだ。
ウィリアムズの2台の車には、スルタン王子にちなんだナンバーも付けられる。
「私は6月27日生まれです。だから、27ナンバーと6ナンバーの車があります。バックアップカーの28ナンバーもあった。フランクと話をしているときに、フランクが、何でもやるよ、と言いました。僕はスポンサーを呼びこむ代わりにチームの半分を所有したい、などと言えば良かったですね。彼は応じてくれたでしょう。でも私は楽しみのために参加したのです」
そう、彼は実際楽しんだのだ。1979年にカリフォルニア州で開催されたロングビーチ・グランプリでは、サウジアラビアの3人の王子が、ウィリアムズ、伝説のドライバーであるニキ・ラウダ、ジェームス・ハント、そして元ビートルズのジョージ・ハリスンなどと一緒にレースを楽しんだことは有名な話だ。
まだ本当にやりたいことを始めたわけではないので、時間をください。まだ始まったばかりですから。
スルタン・ビン・サルマン王子
「ジョージ・ハリソンはとても性格の良い人でした」とスルタン王子は話す。「私はアメリカで何人かのロック・スターに会って、コンサートに行ったことがあります。しかし、ジョージ・ハリスンはとても礼儀正しく、一緒に過ごしやすかった。食事会やイベントでも同じテーブルに座って話をしました。私がロンドンに行ったら、ビートルズのメンバーを何人か紹介すると言ってくれたこともありました」。
「Fly Saudia 」の文字を翼にあしらったウィリアムズは、1980年と1981年にコンストラクターズ・チャンピオンシップを制覇した。オーストラリア人のアラン・ジョーンズがウィリアムズを運転してドライバーズ選手権を獲得したのを皮切りに、1983年には、2016年のF1チャンピオン、ニコの父であるケケ・ロズベルグが、シーズン中1勝しかできなかったにもかかわらず、チームの個人タイトルを維持した。
12月4日土曜日、スルタン王子はジェッダ・コーニッシュ・サーキットを訪れ、ジョーンズ、ジャッキー・スチュワート、サウジアラビアのスポーツ大臣アブドゥルアジーズ・ビン・トルキ・アルファイサル氏、アラムコ社CEOのアミン・ナーセル氏とともに、1980年代初頭の象徴的なウィリアムズのマシンを現代風に再現した車の前で記念撮影を行った。
王子は今もF1のファンで、ルイス・ハミルトンの応援はしない、なぜなら「彼はすべてを勝ち取った」ので他の人の分も残すべきだ、と冗談を言った。
「私はいつも、この業界に入ってきたばかりの若いドライバーを応援します」とスルタン王子は話す。
初めてのサウジアラビア・グランプリの開催には理想的な条件が揃っているとスルタン王子は考えている。「もちろん、ジェッダは海抜が高く、12月という素晴らしいタイミングで開催されることになる。だから、車が痛むこともない。海に面しているので、ロングビーチを思い出します。クイーン・メリー号は停まっていませんが、美しいジェッダがあり、本当に素晴らしい。楽しみです」と彼は言った。
スルタン王子は、サウジアラビアのすべてを誇りに思っており、この国のエンジニア、芸術家、写真家、スポーツ選手の功績を称えている。そして、このリストに世界レベルのF1ドライバーが加わる時が来ると考えている。
「最終的には、サウジアラビア人ドライバーが(F1に)参加することになるでしょう」と彼は言う。「これは遺伝的なもので、いろいろなことができるし、すぐにパッとつながることができるんですよ。才能ある人たちがいるのです」
スルタン王子は次のように付け加えた。「私から決定的なことを聞きたいなら、サウジアラビアはF1を開催するだけではなく、それ以上のことをしなければならないと言います。サウジが最も得意とすることをしなければならない。これに勝とうとか、あれを追い抜こうということではなく、自分たちの車を作り、他のことにも応用できるような技術を押し進める必要があり、それを作り、設計する必要があるのです」
サウジアラビアのモータースポーツ産業は近年、ダカール・ラリー、フォーミュラE、エクストリームEの開催などすでに大きなステップを踏んでおり、今回はその中でも最も大規模なイベントだ。
「サウジアラビアとF1の関係は、きっとレース開催だけでは終わらないでしょう。F1はサウジアラビアの産業となり、我々が作り、誇りに思うものになるでしょう。技術や進歩、そしてもちろんドライバーの面でも、サウジアラビアが上を行くことになるでしょう」と彼は言う。そう、まだまだ始まったばかりなのだ。