
AFP、ロサンゼルス
スピーチと敬礼により、退役軍人と官公吏は土曜日、それまで消極的だった米国を第2次世界大戦に参加させることとなった1941年の日本による真珠湾奇襲攻撃の78回目の記念式典を執り行った。
生存者を称えるハワイでの式典には、デイビッド・バーナード米国内務長官とハリー・ハリス駐韓米国大使が出席した。
式典は、沈没したUSSアリゾナを望む場所で執り行われた。同艦船は攻撃の開始とともに爆撃され、2,400人以上のアメリカ人が犠牲となった、
式典の後、9月に98歳で亡くなり、爆発炎上したアリゾナから救出された最後の乗組員の1人であるローレン・ブルナー氏の遺骨が、アリゾナの残骸に埋葬された。
ブルナー氏は、以前から、その運命の日に亡くなった仲間の乗組員と一緒に埋葬されたいという願いを表明していた。
「USSアリゾナの生き残りの乗組員が、彼の船と仲間の乗組員のもとに戻されるのはこれが最後となります」と、真珠湾国立記念館の広報担当ジェイ・ブローントはAFPに語った。
ブルナー氏は、船に埋葬される44番目のUSSアリゾナ生存者となる。現在も存命の攻撃を生き延びた残りの3人の乗組員は、家族とともに埋葬される予定である。そのうちの1人である98歳のルー・コンター氏は、ブルナー氏の約120人の家族とともに記念式典に出席した。
日没とともに、国立公園局と軍のダイバーがブルナー氏の遺灰が入った骨つぼを受け取り、彼の永眠の地となる船の残骸の船体に沈めた。
ブルナー氏は、1941年12月7日に日本の戦闘機が戦艦を爆撃した際、沈んだ艦船の後部に集まっていた6人のうちの1人で、その時、近くの船に乗った船員が彼らに綱を投じた。21歳の彼は ひどい火傷を負い脚を2度撃たれていたが、何とかロープにつかまり、仲間とともに救助された。
[caption id="attachment_5651" align="alignnone" width="533"]当時、フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、ホノルル近くの米海軍基地への奇襲攻撃を「アメリカ合衆国にとって恥辱の日」と説明した。
国立公園局によると、USSアリゾナに乗船していた合計1,177人の乗組員と海兵隊員が死亡し、900人以上の遺体は船から回収できなかったという。
ブルナー氏は怪我から回復した後も引き続き、アリューシャン列島と南太平洋での戦闘に参加して戦った。彼は1947年に海軍を退役した。彼は、2014年の記者会見で、沈没した船に遺灰を埋葬してもらう決断について説明した。
「ええ、私はそれについて長い間検討しました」と星条旗新聞は彼の言葉を引用している。 「私の家族や友人はすべて、さまざまな場所、墓地に埋葬されています。
「でも、しばらくして、およそ5年も経てばもう誰も彼らに注意を向けてくれないようです。多くの人々がずっとアリゾナに来てくれることを願っています。彼らに会えればうれしいだろうと思います。」
土曜日の式典は、真珠湾海軍工廠で不満を抱いていた船員が2人を射殺した後自殺した事件の3日後に行われた。
また、金曜日には、サウジアラビアの軍の訓練生がフロリダの海軍基地で発砲し、3人を殺害した後射殺されている。当局によると、真珠湾攻撃を記念する式典の間、セキュリティが強化されたという。