ナダル・サモーリ
大阪:現代文化は、個人が演技やパフォーマンスの技術を身につけることを強要している。社会が仮面やプレゼンテーションを必要としているからだ。
では、俳優の演技と社会的な演技はどう違うのだろうか?
「俳優の演技と、社会的な演技は、私にとって2つの異なるものです」。東京を拠点に活動する俳優であり、声優でもある、なかやま とし氏は言う。「俳優の演技とは、いかに本物に見えるか、ということに絞られます。これを勘違いして、俳優は嘘が上手いと思っている人も多いですね。実際は、偽るだけでは『大根役者』と言われてしまいます。そうならないために、俳優は、自分自身に残酷なまでに正直に向き合う必要があるのです。では、実際の生活ではどうでしょうか?同じことをしていたら、人生は破綻してしまいます。どういうことでしょう?例えば、私は今小さなビジネスの運用をお手伝いしています。時には、不快なお客様と接することも頻繁にあります。そんな時は、自分の正直な感情が表情に表れる前に、心の奥底に隠しておく必要があります。実生活では、心は隠しておき、悔しい思いも飲み込むのです。なぜなら、自分の感情表現よりもビジネスのほうが大事だからです。俳優の演技では、そうはいきません」
俳優の仕事は、与えられたキャラクターをまるごと表現し、観客を物語に没入させて、感情を揺さぶるために、そのキャラクターに説得力を持たせることである。
ある疑問が浮かぶ。プロの俳優は、徐々に自分演じる役に愛着を持つようになるのだろうか?
「私は特定のキャラクターに愛着を持つようになりました」となかやま氏は語る。「それは、継続して演技ができて、共演者との絆を深めることができる、舞台での仕事の際に起こりがちなことです。これは、そのキャラクターに費やす時間と努力に関係します。真剣に演じれば演じるほど、愛着が湧いてくるのです。何ヶ月もかけてリハーサルを行い、ある程度の数の演技をすると、達成感を感じます。ただ、仲間の俳優や彼らのキャラクター、そして自分の子供のようになった、自分のキャラクターに別れを告げなければならない時がくると、少し悲しい気持ちになってしまいます。映画の場合は、撮影現場で何日か仕事をする、といった、より軽いコミットメントになりがちですね」
しかし、演技は映画や演劇に限ったことではない。日常生活の中でも演技は存在する。プロの俳優が、自分が演じるキャラクターを人々に納得させようとするように、社会的な演技者は、観察者や「フォロワー」をイメージで説得しようとする。
人々は、自分の人生において、特定の方法で認識されたいと思うかもしれない。そして演技は、街中で、そして最も重要なことに、ソーシャルメディアのプラットフォーム上で始まる。ソーシャルメディアのプロフィールは、非常によく練られている。そして、それぞれの投稿が、彼らが演じようとしているキャラクターを成立させるようなストーリーを語っている。
日本には「建前」という言葉がある。これは人々が社会に出すために用意した顔や意見のことを指す。これは、争いを避けるため、また、正しいと思われることや合意の上で受け入れられることのために、真実や本音を避けて形作られた仮面である。この社会的規範を守ることで、社会はより調和のとれたものになる。また、「本音」、「裏の顔」や「私心」は、時に隠された破壊的な真実を暴き出し、前者と対立することがある。日本では、建前の文化があまりにも浸透している。そのため、日本を歩く外国人は、日本人が持つ「常識的な行動」の類似性から、まるで同じ人たちと何度もすれ違ったような感覚を持つかもしれない。服装、姿勢、体つき、言葉遣いなど、すべてが驚くほど似ているのである。