ナダル・サモーリ
大阪:日本を訪れる人々は、通常、日本を「文化の宝庫」と定義する。しかし、彼らはしばしば欺瞞的な印象に陥り、社会の微妙な部分を見ることはできない。経営者から強制される接客用の台本やお辞儀の仕方、笑顔の作り方などに惑わされ、この文化独特の「エキゾチック」な側面に気を取られてしまうのだ。これらは日本における、礼儀作法の重い義務に過ぎないのである。
「日本の暗部といえば、まず思い浮かぶのは、時代にそぐわない日本の社会制度と古い習慣です。このようなシステムは、特に職場における男女間の不平等や、社会規範を逸脱することに対する過度の恐れ、そしてそこから生じるプレッシャーを生み出してきました」。ドバイ万博でツアー・オペレーターとして働くリカ・シゲマツ氏は、「社会における他者への責任感は、個人の欲望よりも強いものになります。これが、若い人たちの人生を圧迫し続けているのです」と話す。
文化が徐々に認識されていく様子を理解するのに最適な例えが、山登りだ。東京の富士山や京都の大文字山などには、毎年数多くの登山家が集まって山登りをする。例えば、大文字山の麓に立ち、畏敬の念を込めて見上げると、軽い冒険心が湧いてくるだろう。しかし、登り始めて見えるのは鬱蒼とした森であり、周囲の状況を正確に把握することはできない。周囲の様子を知るには、前に進むしかない。歩きながら周りを見渡すと、歪んでいた自分の視点にようやく気づくのだ。山の麓から見ると、すべてが平穏で理想的な風景に見える。しかし、山登りを始めると、困難や紆余曲折があることに気づかされる。同じように、日本やMENA諸国などの他の国を外から見て判断する前に、もっと深く“森”の中に分け入っていく必要があるのだ。
日本社会では、人と違うものを攻撃することも、大きな特徴だ。特に学校では、親や教師が生徒のロールモデルだ。彼らと同じように、生徒同士がお互いに攻撃しあい、最終的には「同じく」なるように間接的に誘導されている。「ハーフ」、あるいは、そのような特徴を持つ「日本人らしくない」生徒の多くは、成長するにつれて、学校でいじめられ、辛い思いをすることになる。
シゲマツ氏は語る。「私の親の世代と話をすると、いまだに『女性は30歳までに結婚するもの』という考えで一致しています。また、『出産したら仕事は続けられない』と思っている女性が大多数を占めています。日本では、結婚は多くの女性にとって、人生最大の目標です。実際、主婦になれば職場の立場は危うくなります。女性は性別で判断され、どのような役割を果たすべきかを言われ、その言い訳はいつも同じです『だって女なんだから』」
シゲマツ氏は、日本を訪れる外国人の中には、偏見に対処できる人もいるという。
よく言われる外国人恐怖症や「外人コンプレックス」は、必ずしも嫌悪感の表れではなく、単に外国人と接する経験が浅い、知らない事柄への恐怖心なのだという。
おそらく、どんな文化にも社会の深層に潜む暗部があるのだろう。しかし、リカ氏にとっては、ドバイで生活する中で、自分が感じていた暗黒面の多くが顕在化した。
「男友達と歩いていると、夫婦だと決めつけられるそれことがあるんです」と彼女は言う。
リカ氏は、日本がより多文化社会になるよう貢献したいと考えている。海外でのさまざまな経験から、自分の世代には日本を良い方向に変える力があると信じている。
「日本はもっと柔軟に、さまざまなバックグラウンドを持つ人々に対応し、その厳しい社会政策を調整するべきだと思います。」
ヤマハ、ブリヂストン、ソニー、東芝、セガ、カプコン、セブンイレブンなど、一流ブランドにまつわる自動車、テクノロジー、ゲーム、アニメなど、日本人が長年にわたって生み出してきたイノベーションと高品質の製品は、どれも絶大な優位性を持っていることは、誰も否定できない。しかし、それはすべて、彼らの人生という、大きな犠牲の上に成り立っている。