Since 1975
日本語で読むアラビアのニュース
  • facebook
  • twitter
  • Home
  • 特集
  • サウジアラビアの現在と過去をつなぐ衣装

サウジアラビアの現在と過去をつなぐ衣装

Short Url:
22 Feb 2023 03:02:57 GMT9
22 Feb 2023 03:02:57 GMT9
  • ビシュト・アルバルカとアルモアサマは、ディリーヤと中部地域で最も広く着用されていた衣装だ
  • 中部地域は外部からの影響を受けなかったため、この地域特有の民族衣装ができた

ラハフ・ジャンビ

リヤド:第一次サウジアラビア王国が成立した当時、伝統的な服装にはいくつかの特徴があった。それらは時を経て今も残っているものもあれば、なくなってしまったものもある。

確かなことは、建国記念日や始まりの日とも呼ばれる2月22日に、サウジアラビアの当時の民族衣装が人気を取り戻しつつあることだ。

サウジアラビアの各地域には独特の民族衣装があり、ディリーヤ地方ではビシュト・アルバルカとアルモアサマが最も広く着用されていた衣装であった。

ビシュト・アルバルカはディリーヤで最も有名な男性用伝統衣装の一つで、山羊の毛でできた手織りの衣服であり、前開きで袖は長くて広く、黒または茶色で、細い白い線で区切られている。

第一次サウジアラビア王国の時代から着用されるようになり、その後の世代にも着用された。サウジアラビア王室の国王、王子、その息子たちが着用してきた衣装であり、現在もその伝統が続いている。

「ビシュト・アルバルカはビシュト(外套)の種類の一つで、この地域の男性が使用していました。中部地方やアルアリード、ディリーヤの人々は、男性が着るものでも、女性が着るものでも、アバヤをビシュトと呼んでいました」と、遺産やアラブの伝統衣装・織物の専門家であるライラ・アルバッサム氏はアラブニュースに語った。

アルバッサム氏によると、中部地域は外部からの影響を受けなかったため、この地域特有の民族衣装ができたのだという。

「この地域は外部の影響をまったく受けなかったのです。沿岸地域や巡礼者など多くの人々が海外から訪れた地域には、外部の影響が見られますよね」とアルバッサム氏は語った。「ですが、中部地域、ディリーヤ地方、アルアリード地方では、服装はその地特有のものでした」

アバヤやビシュトは女性も男性も主要なラインは同じだが、女性のビシュトは肩に 「アルモアサマ」と呼ばれる刺繍が施されているのが特徴だ。

アルモアサマ・アバヤは羊の毛で作られ、ザリ(ボタン)とアマイ(三つ編み)で装飾されている。頭と肩を囲み、前の2辺で垂れ下がるもので、各辺は円形で作られ、縁は三つ編み(クシャキーシュ)のないボタン糸が使われている。

モアサマ法はアバヤを装飾するもので、黒い絹糸を織り込んだり、紐や三つ編みの形にしたりする。手を通す穴、肩のライン、前面の穴のラインに細いロープをつけて作られる。また、金ボタンの糸も使用されている。

「女性用は地面に着くほどのアバヤを頭に被り、両脇に手を通せる穴があるのが男性用との違いです」とアルバッサム氏は語った。

ヌーラ・ビン・アブドルラフマン・アルサウド王女はアル・モアサマのアバヤを着用し、縫製を行う女性たちを雇った。彼女たちの多くはアル・カーイやワディ・アル・ダワッサー、アル・アフラージュ出身で、装飾に精通していることで知られていた。

このアバヤをデザインしたのはヌーラ王女だ。彼女のデザインは控えめながら品格があり、装飾のチョイスも高く評価された。

アルバッサム氏は、建国記念日の活動や民族衣装の歴史と遺産についての学習は、未来の世代に教えるべきものだと述べた。

「伝統的なファッションは、私たちのルーツや土地と私たちを結びつけるアイデンティティであり、私たちが大切にしているものです。身につけることで、誇りと愛国心を感じるのです。ファッションイベントを見ていても、伝統的な装いに身を包んだ若い人たちを見るのは楽しいものです。彼らはその衣装を着て喜びを感じています」とアルバッサム氏は語った。

「身につけると、これらの衣服の美しさを感じることができます。そして普段の服装に戻ると、その違いに気づくのです。祝日や祭日には、若者はこのような衣装を探し、身につけます。これは、現在と過去をつなぐ重要な要素であり、帰属意識を与えてくれるものでもあります」

「私たちは、若い世代を早くから教育し始める必要があります。これらの衣装は教育課程に含まれなければなりません。次の世代は早くから伝統的な民族衣装について教わるべきです」

特に人気
オススメ

return to top