
東京:沖縄は、南の島で戦われた第二次世界大戦における最も過酷な戦いの1つが終結してから80年を迎えた。
世界的な緊張が高まる中、知事は月曜日、悲惨な歴史とその現在の影響を伝え続けることが沖縄の「使命」だと述べた。
沖縄戦では島の人口の4分の1が死亡し、27年間の米軍占領と現在に至る米軍の大規模な駐留を招いた。
月曜日の追悼式典は、米国がイランの核施設を攻撃した翌日に開催され、沖縄島と周辺諸島では、台湾での潜在的な紛争に巻き込まれる懸念が高まる中、米軍の大規模な駐留に対する不安がさらに深まった。
玉城デニー知事は、世界的な紛争と核の脅威の激化に言及し、国際平和研究、軍縮、戦争遺産の保存に貢献する決意を示した。「現在を生きる私たちには、現実と教訓を保存し、次世代に伝える使命がある」と述べた。
激しい戦闘と民間人の犠牲者
1945年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸し、日本本土への進攻を開始した。
沖縄戦はほぼ3ヶ月間続き、約20万人(米軍約1万2,000人、日本軍約18万8,000人)が死亡した。そのうち半数は沖縄の民間人で、学生や日本軍によって集団自殺を強要された犠牲者も含まれていた。
歴史家たちは、沖縄は日本の帝国軍によって本土防衛のために犠牲にされたと指摘している。この島々は、1972年に返還されるまで、日本の他の地域よりも20年も長く、米国の占領下にとどまった。
月曜日の追悼式は、戦没者の遺骨の大部分が埋葬されている糸満市のマブニ丘で開催された。
悲劇を忘れない
月曜日の式典に出席した石破茂首相は、厳しい立場に立たされていた。数週間前、与党議員の西田秀明氏は、日本の戦時中の残虐行為を美化することで知られる人物で、学生を悼む有名な慰霊碑の碑文を「歴史の改竄」と非難した。碑文は、日本軍が彼らの死を引き起こしたと描写し、一方、アメリカ軍が沖縄を解放したと記していたからだ。西田氏はまた、沖縄の歴史教育を「混乱している」と批判した。
この発言は沖縄で激しい反発を招き、石破氏は数日後、発言を「 許しがたい」で「歴史を歪曲する」と批判した沖縄知事に対し謝罪を余儀なくされた。
ひめゆりの塔は、戦いの終盤に置き去りにされ、教師と共に集団自殺を含む方法で殺害された学生看護婦を悼む記念碑だ。日本の戦時中の軍部は、住民に対し「敵に降伏するな、死ね」と命じていた。
西田氏の発言は、悲劇の記憶が薄れ、苦難への無知が拡大する中、日本の恥ずべき戦時中の過去を美化しようとする動きへの懸念を強めている。
石田首相は月曜日の追悼式で、日本の平和と繁栄は沖縄の苦難の歴史の犠牲の上に築かれたものだと述べ、政府の責任として「平和で繁栄する沖縄の実現に尽力する」と述べた。
戦後と高まる不安
沖縄は1945年から1972年の日本返還まで米国占領下にあった。沖縄は太平洋の安全保障上重要な位置を占めるため、米軍は現在も同地に大規模な駐留を続けている。その駐留は日本の防衛を支援するだけでなく、南シナ海や中東などでの任務にも活用されている。
米軍基地建設のため私有地が接収され、基地依存型経済が地域の産業発展を阻害してきた。
台湾との紛争への懸念は、沖縄戦という苦い記憶を再び呼び起こしている。歴史学者や多くの住民は、沖縄は本土の日本を救うための駒として利用されたと主張している。
また、1879年に独立王国であった琉球を併合した日本本土と沖縄の間には、古くからの緊張関係がある。
歴史の重荷
沖縄は、日米安全保障条約に基づき日本国内に駐留する約5万人の米軍兵士の過半数が駐留する地域だ。日本の領土の0.6%に過ぎないこの島には、米軍施設の70%が集中している。
知事は、日本への返還から53年が経過した現在も、沖縄は米軍の存在による重い負担に直面し、騒音、汚染、航空機事故、米軍関連犯罪などに悩まされていると述べた。
沖縄には約2,000トンの未爆発の米軍爆弾が残っており、一部は定期的に発掘されている。最近、米軍基地の貯蔵施設で爆発が発生し、4人の日本兵が軽傷を負った。
政府の捜索・身元確認作業が滞っているため、沖縄には数百人の戦没者の遺体が未回収のまま残っている。
AP