
タレク・アリアーマド、ロンドン
2015年1月31日、日本中の人々がTV画面や携帯電話に注目し、同じ日本人のジャーナリスト後藤健二がシリアでISILによって首を切り落とされたというニュースに恐怖した。
この決定的な瞬間は、シリアから8,500キロ以上離れているにも関わらず日本に対して「テロとの戦い」をずっと身近なものにした。
このニュースは日本政府に衝撃を与えた。同政府はISILとの戦争により多くの支援を提供するため、第二次世界大戦後に制定された平和憲法の改正すら検討してきた。
この憲法は日本が海外で戦闘関連の配備を進めることを防いでいる。日本は米国の主導する対ISIL国際連合に参加しているが、人道的援助の提供のみにとどまり、シリアやイラクに地上部隊は派遣していなかった。
後藤が斬首されたことを受け、日本の安倍晋三首相は同国が「テロに屈しない」と述べた。それ以来、同首相は憲法改正を押し進めてきた。
後藤の悲運を引き起こしたもの
日本政府は後藤にシリアへ行かないように警告していた。後藤はシリアへ行き、ISILに拘束されていた同じ日本人の湯川遥菜の開放を確保しようとしていたのだ。
警告にも関わらず後藤はトルコを経由し、2014年10月24日に戦火で荒廃したシリアに入った。
それから3ヶ月もせずしてISILは後藤と湯川の動画を公開し、日本政府に対して彼らの返還と引き換えに2億ドルを要求した。
2015年1月24日、ISILは断首された湯川の写真を抱える後藤の写真と共に、湯川の死に対して日本政府を非難する後藤の音声テープを公開した。
ISILは後藤と引き換えに、2005年のアンマン爆破テロに関与して拘束されていたサジダ・アルリシャウィの引き渡しを要求した。
1週間後、要求が満たされそうもないことを悟ったISILは、当時の彼らの事実上の首都ラッカで後藤の首をはねる動画を公開した。