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難民嫌いの日本、ロシア戦以後ウクライナ人を歓迎

東京の寮の部屋のバルコニーから近隣を眺めるウクライナ人のドミトロ・レメズさん。2023年2月15日。(AP)
東京の寮の部屋のバルコニーから近隣を眺めるウクライナ人のドミトロ・レメズさん。2023年2月15日。(AP)
東京でAP通信のインタビューに応じ、寮の部屋でPC画面上の市庁舎の被害状況を示す画像を指差すレメズさん。2023年2月15日。(AP)
東京でAP通信のインタビューに応じ、寮の部屋でPC画面上の市庁舎の被害状況を示す画像を指差すレメズさん。2023年2月15日。(AP)
2023年2月15日、東京で湯島天神を参拝するレメズさん。(AP)
2023年2月15日、東京で湯島天神を参拝するレメズさん。(AP)
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27 Feb 2023 04:02:58 GMT9
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東京:ドミトロ・レメズさんはノートパソコンで、かつての優雅なオフィスやホテルが傾きかけた廃墟と化した様子をクリックしながら、静かに建物の以前と、その後の写真を見せた。

ウクライナ南部のミコライウにある彼の自宅の目の前にも、崩れかけたビルが1つあった。

順天堂大学で学ぶ駆け出しの医師、レメズさん(24)は、1年前にロシアとの戦争が始まって以来、日本に移住した2,291人のウクライナ人の1人である。

「ばかばかしい。主な目的は、すべてを破壊することです。彼らが戦って手に入れようとしている都市を見れば、都市は完全に破壊されています」と、彼は東京の小さな、しかし清潔でモダンな寮の中に座って言った。

「この先、都市には誰も住まなくなるでしょう。では、何のために?なぜ?なぜこんなことをするんです?」

彼の安全な場所への逃避行物語は、亡命希望者に門戸を閉ざしているという評判のある日本ではまれである。

法務省によると、データを入手できる直近の年、2021年に日本は、アフリカ諸国からの難民を中心に、わずか74人しか受け入れていない。2,413人の申請者の1%未満だ。

厳密には、ウクライナ人は「難民」に分類されることもなく、「避難民」と呼ばれている。日本が全般的な難民政策を変えることなく、ウクライナ人の受け入れ体制は成り立っている。日本政府は、ロシアと戦うウクライナを支援する点では、米国や他の西側諸国との結束を繰り返し表明してきた。

日本にいるウクライナ人を支援する資金の大部分は、モーターボートレースの収益を慈善活動に向ける非営利団体である日本財団から提供されている。日本財団は当初、渡航費、住居費、生活費などウクライナ人支援のために50億円(3,700万ドル)を約束し、その後3年間で85億8,000万円(6,400万ドル)にまで増額している。

レメズさんは、支援策の内情にさほど関心を抱いてはいないようだ。ただ、特に大学や教授たちから受けた支援、そして毎日大学病院に通い、学んでいることすべてに感謝している。

先日、彼はCTスキャンについて学んだ。また別の日には、看護師や医師と一緒に、チーム唯一のウクライナ人としてリレー走に参加し、楽しんだ。

航空券もついて、学費全額負担で勉強を続けられるというのは、ネットで見つけた唯一の選択肢だった。たまたま日本だったんです、と笑顔で振り返る。

そして、彼は自分はラッキーだと思っている。人々は親切だ。道に迷えば、一生懸命助けてくれる。

妻のオレクサンドラ・ホルブロワさんは、バイオリニストで、数年間つき合い、戦争が始まる少し前に結婚した。彼女も日本に移住したが、順天堂とは関係ない別のプログラムを通じてだった。

今は離れて暮らしているが、週末には会っている。彼女はチャリティーコンサートをしたり、子供たちに音楽を教えたりしている。二人はお金が十分貯まったら、子供を作ろうと思っている。

レメズさんはラーメンも寿司も大好きになったが、料理は相変わらず好きだ。自分のボルシチはおいしいと自慢する。日本語も勉強中だ。

人々を助けたかったので、医者になるのは常に彼の夢だった。戦う相手が病気だという点が違うが、犯罪を解決するのと同じように難しいと、彼は言った。

日本で一般診療医になりたいと考えている。ここにも助けるべき人がいるし、日本は自然災害を被りやすい。

「私たちは今もお互いを殺し合う新しい方法を見つけようとしていますよね。何千人もの人が死ぬような災害があるんです。なぜ、私たちは殺し合うのでしょうか?愚かなことだ」と、レメズさんは言った。

弁護士で政府職員だった彼の父親は、まだウクライナに住んでいる。彼が到着する前に職場が爆撃された時、15分の差で殺されずに済んだ。父親は本当に勇敢だ、とレメズさんは言う。戦争が始まる少し前に、母親を腎不全で亡くした。兄弟はいない。

レメズさんは、宮崎駿のスタジオジブリのアニメは見たことがあるが、日本の侍や忍者などに過度に惹かれることはないと認めている。

最近では、日本とウクライナの共通点の多さに驚いている。出世欲に駆られた個人主義ではなく、どちらの国にも平和な共同体精神を感じるのだ。

正月に近くの神社を訪ねたとき、そこで行われた誕生祭は、ウクライナの教会での復活祭を思い起こさせたという。

また、医師であるレメズさんは、放射線の影響を研究し治療する上で、医師同士の歴史的なつながりが国と国の間に深く存在するとも考える。チェルノブイリはウクライナで、広島、長崎、福島は日本で起きたと、考え込むように語った。

ウクライナの医師は、2011年の津波、地震、原発事故の後、福島で支援しました。日本の医師は、1986年のチェルノブイリ原発事故の後、子どもたちのがん手術を行い、命を救っている。

「原発事故に遭ったのは私たち2カ国だけです」と彼は言った。「日本人は苦しんできた。彼らは本当に助けたいと思っている」

AP

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