東京:7月8日土曜日、奈良県で遊説中に射殺された安倍晋三元首相暗殺から一周忌を迎えた。 日本では政治家の暗殺は過去のものと多くの人が考え、幸いにも極度の暴力は稀であったため、このニュースは日本国民に衝撃を与えた。
取材活動で何度も安倍元総理にお会いしたが、とても明るく、よく笑う人だった。
私が彼に初めて会ったのは、彼が自民党幹事長だった当時、東京の日本外国特派員協会で行った記者会見で、私が特派員協会の副会長として同席した時だった。
この日のホットな話題は北朝鮮だったが、質問にとてもスムーズに答えていただいた。
次にお会いしたのはアラブと日本の二国間関係に関する会合だで、そこで私は安倍元首相にインタビューをした。安倍元首相は2007年9月12日に健康上の理由で辞職したが、そのインタビューの際、政界に復帰する予定だと述べていた。
その約1カ月後、彼は自民党を選挙で勝利に導き、再び首相に就任した。 彼は私の取材依頼に気乗りしない様子であったが、アラブ首長国連邦の通信社向けの報道であり日本でのメディア向けではないことを伝えると快諾してくれたのを覚えている。
そして、自民党が地滑り的な選挙結果で政権に返り咲いた日の真夜中ごろ、UAEのサイード・アリ・アルノワイス大使から私に電話があった。大使は私に、すぐに自民党本部に来るようにと言った。約10分ほどで私たちが会場に入ると、自民党の指導者たちが衆議院総選挙の当選者の名前に伝統的な赤いバラを掲げている最中だった。
安倍首相が大使に挨拶に来たので、私は短い取材と独占的な写真を入手でき、それはUAEとアラブのメディアに掲載された。
それは安倍首相の勝利後初の外交官への表敬で、大切な思い出である。
安倍首相はアラブ諸国と良好な関係を持ち、東京で行われた多くのアラブのイベントに出席した。彼はサウジアラビアとUAEを頻繁に訪問し、パレスチナ領土への訪問時は予定より長時間滞在した。
政治の如何に関係なく、安倍氏は有能な政治家であり、歴代の首相史上記録的な年月にわたって日本を率いてきた。 なぜ同氏がロシアのウラジーミル・プーチン大統領との緊密な関係を利用して、ウクライナ戦争の和平合意を仲介できなかったのか、一部のアラブ外交官らにとって依然として不可解だ。
同氏はプーチン大統領と20回以上首脳会談を行ったが、ロシアのウクライナ侵攻後の外交活動には参加しなかった。 2020年8月8日に「体調不良のため」二度目の辞任をした後、安倍氏は首相を退いてはいたが、依然として日本において非常に重要な政治家であり続けた。
このような残酷かつ常軌を逸した暗殺攻撃により彼を失ったことは、日本と国際外交に深刻な影響を与えた。彼は依然として東京の政治の舞台裏で影響力を持つ人物であった。
安倍元首相の功績は日本では賛否があるが、外の世界、特にアラブ世界にとって、彼は惜しまれつつもまだ貢献できることがたくさんある指導者であった。