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イスラエル軍の空爆で一家が消滅 悲嘆に暮れるガザのパレスチナ人はその理由を問いかける

ガザのデイル・アル・バラで甥のバクル(左)と自撮りするアーメド・アル・ナウクさん。彼は、イスラエル軍の空爆で13人の子どもを含む21人の家族が死亡したと語った。(提供:AP/アーメド・アル・ナウク氏)
ガザのデイル・アル・バラで甥のバクル(左)と自撮りするアーメド・アル・ナウクさん。彼は、イスラエル軍の空爆で13人の子どもを含む21人の家族が死亡したと語った。(提供:AP/アーメド・アル・ナウク氏)
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16 Nov 2023 11:11:20 GMT9
16 Nov 2023 11:11:20 GMT9
  • イスラエルとハマスの紛争が始まって以来、かつてない規模の攻撃が起きている。

ガザ地区、ハーン・ユーニス:爆風がガザ地区の実家を襲った夜、アーメド・アル・ナウクさんはそこから2000マイル以上離れた場所にいたが、不吉な予感に襲われ、目を覚ました。

携帯電話に手を伸ばすと、友人からメッセージがあったが……その後削除されていた。アル・ナウクさんはロンドンから友人に電話をかけた。電話の向こうから絞り出された言葉は、世界を打ち砕くような衝撃をもたらした。「空爆だ。みんな死んだ」

その4日後の夜、寝室の壁が崩れ落ちた衝撃で、ガザ南部の都市ハーン・ユーニスに住むアマール・アル・ブッタさんは眠りから覚めた。ミサイルが彼のアパートの最上階を貫通し、ひとつ下の階で爆発したのだ。

彼はがれきの上によじ登り、携帯電話の光を残骸に照らしながら、16人の親族に呼びかけた。

「誰かいないか」と彼は叫んだ。しかし、呼びかけに応える者はいなかった。

包囲されたガザ地区では、高齢者から生後数週間の乳児まで、パレスチナ人家族の世代全体がイスラエルとハマスの戦争における空爆で死亡している。イスラエル軍は、この人口密集地域から武装グループを排除することを目的としていると言う。

攻撃は、イスラエルとハマスの長年の紛争では見られなかった規模で起こっている。軍は住宅地、学校、病院、モスク、教会を襲い、イスラエル軍が市民に避難を命じたガザ南部の地域さえも攻撃している。

イスラエルは、過激派組織が10月7日にイスラエル南部を襲撃、少なくとも1200人が死亡したことを受け、戦争の目的はハマスの壊滅にあるとし、攻撃は過激派の工作員やインフラを標的にしていると主張している。

イスラエルは、ガザ保健省が報告した1万1000人以上という高い死者数の責任はハマスにあるとしている。同国は、ハマスが住民の間や民間地域の地下にあるトンネルで活動することで民間人を危険にさらしていると述べ、死者数にはハマスの戦闘員も含まれていると語っている。

しかし、ガザでの破壊と人命の喪失の規模は、一度の攻撃で家族全員が全滅するというものであり、イスラエルの軍事戦術に深刻な疑問を投げかけている。

われた家族

10月20日にアル・ナウク一家の家を襲った爆発の影響が明らかになるまで、恐怖と混乱に満ちた長い時間が必要だった。最終的に、彼は21人の親族が殺されたことを知った。

その中には75歳の父親、2人の兄弟、3人の姉妹、そして彼らの13人の子供たちが含まれていた。

「これが本当に起きたことだとは信じられない」と、ロンドンの大学院生であるアル・ナウクさんはAPに語った。「この事実に向き合ったら、私は正気を保っていられない」

彼の父親のナスリは最近、妹のアヤの家がガザ北部で破壊され、イスラエルがパレスチナ人に退去を命じた南部の中心都市、ディール・アル・バラで一緒に滞在していると話していた。

アル・ナウクさんは、「家は再建できるし、大事なのは彼女と子どもたちが生きていることだ」と答えたと記憶している。

しかしその数時間後、彼らは全員死んでしまった。工学の学位を持つアル・ナウク家の最も成功したウォラーと彼女の4人の子供たち。アラーと彼女の5人の子供たち。独特なユーモアのセンスがあったアヤと彼女の3人の子供たち。兄のムハンマド。そして戦争が始まった時は、大学院進学のためオーストラリアへの旅行を準備していた弟のマフムード。

21人のうち9人はまだがれきの下にいる。極端な燃料不足のため、民間の救助隊員は彼らを掘り出すことができなかった。

死者の身元を確認するのもトラウマを植え付けられるような作業だった。多くの遺体は判別不可能で、ほとんどがバラバラになっていた。

アル・ナウクさんの妹のドアは、空爆時に家にいなかったが、がれきの下にいるであろう、愛する人の腐った肉の臭いに耐えられなかったと話したという。誰かが現場から回収した遺体の一部を彼女に見せて、それが姉妹の一人だと言った。

生存者は2人だった。アル・ナウクさんの義理の姉、シマアと、3歳の甥のオマルだ。11歳の姪、マラカは重度のやけどを負ってアル・アクサ病院に運ばれたが、医師がICUのベッドを生存の可能性の高い別の患者に譲ったため、死亡したと妹のドアは語った。

ガザで2番目に大きいナセル病院のモハメド・カンディール医師は、「医師は非常に難しいトリアージ判断をしなければならない。ベッド、医療品、燃料が不足しているため、重傷を負った患者が死に追いやられている」と語った。

「人工呼吸器もベッドもないため、ほとんどの患者を放置している」と、彼は爆風による複雑な裂傷で集中治療が必要な患者について語った。「病院はもう、完全に崩壊している」

相反する主張

イスラエルは、人口密度の高いガザでどのように標的を選んでいるか明言していない。しかしイスラエル当局によれば、多くの家屋への攻撃は、追跡中のハマスの工作員が中にいるという情報評価に基づいているという。詳細はほとんど明かさないが、イスラエルによれば、すべての空爆は法律の専門家によって検討され、国際法を遵守していることを確認しているという。

多くのガザの家族は、ハマスの標的が彼らの自宅を拠点に活動していたことを否定している。

ハマスが運営するガザ保健省は死亡者数において民間人と戦闘員を区別していないが、殺されたパレスチナ人の大半は未成年者と女性であり、それぞれ約4500人と2200人だという。11月6日の保健省の報告によると、少なくとも304家族が10人以上の親族を失い、約31家族が30人以上の親族を失っているという。イスラエル軍の激しい砲撃が続いているため、この数はさらに増えていると思われる。

死傷者が最も多い家族の中には、子供も多く含まれている。

10月26日の同省の報告によると、アル・アスタル家は89人の親族を失い、そのうち18人が10歳以下の子供で、その中にはまだ1歳にもなっていない赤ん坊3人も含まれていた。ハスウナ家は74人が死亡、うち22人が1歳から10歳までの子供であったという。ナジャール家は65人の親族を失い、うち9人は10歳以下、13人は4歳以下であった。

アマール・アル・ブッタさんによれば、彼の親族は全員ハマスとは関係のない民間人だったという。

ガザ市で有名なスイーツショップを経営する彼のいとこのサカッラ家は、イスラエルの避難勧告に従い、ガザ南部のハーン・ユーニスにあるアル・ブッタ家の4階建ての家に避難していた。

サカッラの家族たちは、アル・ブッタ家のためにお菓子のトレイを持ってやってきた。リビングルームでいとこたちと冗談を言い合うのは、先の見えない戦争と避難生活のなかで、貴重な休息のひとときだったと、29歳の教師であるアル・ブッタさんは語った。

いとこの一人、42歳のアーメド・サカッラさんは、爆撃で破壊された実家の再建について語り、配管の修理やペンキ塗りを楽しみにしていたという。

「シンプルで、甘い夢だった」とアル・ブッタさんは言った。

その10日後、69歳のナディアからまだ1歳にもなっていない赤ん坊のアサードまで、サカッラ家の16人全員が10月24日未明の攻撃で殺された。

メッセージに答える者はいない

爆風で家が吹き飛ばされた夜、アル・ナウクさんが家族のWhatsAppグループに残した問いかけ「教えてくれ、みんな元気か?」に答える者はいない。

ガザとの距離が、この悲惨なニュースをより非現実的なものにしている。レストランやバーから歓声が響くロンドンの平和な夜を眺めながら、アル・ナウクさんはガザの空を照らす空爆やパニックに陥った住民の悲鳴を想像する。彼の家族はがれきの下に無残な姿で横たわっている。

親戚の遺体がどこに埋葬されているのか、アル・ナウクさんは知らない。病院の遺体安置所には、もはや遺体を安置するスペースはなかった。集団墓地かもしれないが、アル・ナウクさんには知る由もない。

アル・ブッタさんによると、サッカラ一家はハーン・ユーニスの家族の墓に埋葬されたという。一家が埋葬されたとき、近所中の人々が嘆き悲しんだ。「私たちの目は乾いている」と彼は語った。「涙はもう枯れ果てた」

戦争の混乱の中で、死者の葬儀はあわただしく、悲痛な作業である。

それは、親族が死者や行方不明者の名前を書き込むことから始まる。彼らはがれきを手で掘り、生存者を探し求める。その後、病院が死亡診断書を発行する。

悲嘆に暮れる親族たちは、自分たちの家族にハマスとつながりのある者はいないと言いながら、「なぜ彼らが殺されるのか」と問う。

「なぜ子供や老人を殺すのか?」とアル・ナウクさんは問いかける。「私の家を爆撃する軍事的正当性はどこにあるのか?みんな民間人だった」

「いつか、攻撃を行った本人に会いたい。彼に尋ねたい。なぜそんなことをしたのかと」

AP

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