ガザ地区、ハーン・ユーニス:25日夜、休戦合意に基づく交換の第2段階としてハマスは13人のイスラエル人と4人の外国人を解放したと、イスラエル軍が発表した。同武装集団は当初、数時間にわたり交換を遅らせ、イスラエルが停戦合意の条件に違反したと主張したという。
イスラエル軍は午前0時過ぎ、タイ人4人を含む解放された人質がイスラエルに移送されたと発表した。彼らは経過観察のため病院に運ばれ、家族と再会することになっている。
イスラエル側は、国際的な調停努力の末に最終的に成立した合意の一部として、25日遅くに39人のパレスチナ人を解放することになっていた。
ベンヤミン・ネタニヤフ首相の事務所は、ハマスが25日に解放したイスラエル側の人質には7人の子供と6人の女性が含まれていると発表した。解放された人質のほとんどはキブツ・ベエリの出身で、ハマスの過激派が10月7日の境界を越えた攻撃で破壊した地域である、とキブツの報道官は述べた。子どもたちは3歳から16歳まで、女性は18歳から67歳までだった。
ベエリの住民にとっては複雑な瞬間だった。同報道官によると、解放された人質は全員、10月7日の襲撃で家族を殺されたか、愛する人を捕虜としてガザに残してきたという。
釈放された人質の一人、12歳のヒラ・ロテムさんの母親は、今も拘束されたままだと報道官は述べた。
解放された別の少女、エミリー・ハンドさんの父親は、後に彼女が人質として拘束されていることが分かるまで、数週間にわたって彼女が死んだと信じていた。
4日間と予定されている休戦の2日目、土壇場での遅延が緊迫した膠着状態を作り出した。
夜になり、人質がガザから解放されるべき時間になると、ハマスはイスラエルによって許可された援助物資が約束されたものに満たないと述べ、それがガザ北部に十分に届いていないと主張し始めた。ガザ北部はイスラエルの地上攻撃の焦点であり、主要な戦闘地域である。ハマス側はまた、24日に行われた最初の交換では、退役軍人の囚人が十分に解放されなかったと述べた。
「これは合意を危険にさらしている」と、ハマス高官のオサマ・ハムダン氏はベイルートで述べた。しかしその後、エジプト、カタール、そしてハマス自身が、障害は克服されたと述べ、ハマスはイスラエルによって解放されると期待される6人の女性と33人の少年をリストとして挙げた。2人の女性、マイスン・ジャバリさんとイスラー・ジャービスさんはイスラエル人への攻撃を行った罪で有罪判決を受け、2015年に投獄された。ジャービスさんはこの事件で重度のやけどを負った。
交換の詳細をめぐるいくつかの不確実性が残る一方で、双方の家族が再会する初期の光景からも、ある程度の楽観主義も見られた。
休戦初日、ハマス側は、戦争の引き金となった10月7日のイスラエル攻撃で拉致した約240人の人質のうち24人を解放し、イスラエル側は39人のパレスチナ人を刑務所から解放した。ガザで解放されたのは、イスラエル人13人、タイ人10人、フィリピン人1人である。
全体として、ハマス側は4日間の停戦中に少なくとも50人のイスラエル人人質、イスラエル側は150人のパレスチナ人囚人を解放することになっている。全員が女性と未成年者である。
イスラエルは、さらに10人の人質が解放されるごとに休戦期間を1日延長すると発表した。これについて、米国のジョー・バイデン大統領は実現することを望んでいると述べた。
これとは別に、カタールの代表団が25日にイスラエルに到着した。彼らは現地の関係者と調整し、「取引が円滑に進むように」していると、この訪問について説明を受けた外交官は語った。同外交官は、メディアと詳細を話す権限がないため、匿名を条件に話した。
休戦の開始は、イスラエルの激しい爆撃によって疲弊した230万人のパレスチナ人に静寂をもたらした。これらの爆撃は数千人の命を奪い、住民の四分の三を家から追い出し、住宅地を破壊し尽くした。
ガザの武装勢力から発射されていたイスラエルへのロケット砲も沈黙した。
ガザ北部の戦争で疲弊したパレスチナ人たちは破壊された建物の間のがれきを踏みしめながら、時には素手で掘り進めながら、通りに集った。今月初めにイスラエル軍に包囲されたジャバリヤのインドネシア病院では、中庭や正門の外に遺体が横たわっていた。
ガザ市近郊のジャバリヤ難民キャンプの住民、エマド・アブ・ハッジャーさんにとって、この一時休戦は自宅跡の残骸を再び捜索できることを意味していた。彼の家は先週イスラエルによる攻撃で破壊された。
彼はいとこと甥の遺体を発見し、これでこの攻撃による死者は19人となった。 彼の妹と他の2人の親戚はまだ行方不明のままだ。
「私たちは彼らを見つけて、尊厳をもって埋葬したい」と彼は言った。
国連は、この一時休戦が開始されてから、食糧、水、医薬品の輸送を、10月21日の援助輸送再開以来最大の量に拡大することができたという。また、戦前の水準で1日あたりの消費量の10%強となる12万9000リットルの燃料と、開戦以来初となる調理用ガスも配送された。
南部の都市ハーン・ユーニスでは、容器を持った人々の長い列が給油所の外で待っていた。ホッサム・ファヤドさんは、戦闘の一時停止がわずか4日間であることを嘆いた。
「人々の状況が改善するまで延長されることを願っている」と彼は言った。
ガザ北部への援助が一カ月以上ぶりに届いた。パレスチナ赤新月社は、食料、水、医療品を積んだ61台のトラックが25日に同地域に向かったと述べた。これは現時点で同地域に到達した最大の援助隊となる。
国連によると、同機関とパレスチナ赤新月社は、ガザ市の病院からハーン・ユーニスの病院へ40人の患者と家族を避難させることができたという。
喜びと期待
テルアビブでは、「人質の広場」と呼ばれる中央広場に数千人が詰めかけ、二回目の解放の知らせを待っていた。
「他の人たちのことを忘れないでほしい。状況はどんどん困難になっている。胸が張り裂けそうだ」とテルアビブ在住のネリ・ゲルションさんは語った。一部の家族はベンヤミン・ネタニヤフ首相の政府に対し、人質を帰還させるために十分なことをしていないと非難している。
ヨルダン川西岸のバラタ難民キャンプでは、16歳のワエル・メシェさんの家族が、2回目の交換を待ち、彼の帰還のために必死で家の準備をしていた。「私たちは彼を強く抱きしめるつもりだ」と母親のハナディ・メシェ氏は電話で語った。
最初に解放されたイスラエル人グループには、9人の女性と9歳以下の子供4人が含まれていた。彼らは経過観察のためイスラエルの病院に運ばれたが、状態は良好と発表されている。
その数時間後、ヨルダン川西岸地区と東エルサレムにあるイスラエルの刑務所に収容されていた24人のパレスチナ人女性と15人の10代の少年が解放された。10代の少年たちは投石などの軽い罪で投獄されていた。女性たちの中には、イスラエル兵を刺そうとした罪で有罪判決を受けた者も含まれていた。
「私たちの刑務所からの解放は、悲しみに染まった喜びだ。なぜなら、これは殉教者の命と子供たちの無垢さを代償としたものだからだ」と、解放された囚人の一人、アセール・ムニール・アル・ティティさんは述べた。
支援団体「パレスチナ囚人クラブ」によると、イスラエルは、開戦以来逮捕された約2000人を含む、約7200人のパレスチナ人を拘束しているという。
25日には、イスラエル側が囚人を解放しようとしていたヨルダン川西岸地区の緊迫した検問所で、少なくとも2人のパレスチナ人が負傷した。イスラエル治安部隊は、ベイトゥニア検問所に集まったパレスチナ人に催涙ガスとゴム弾を発射した。この2人がどのように負傷したのかは明らかになっていない。
より長期的な平和の可能性は?
この戦争は、数千人ハマス戦闘員がイスラエル南部に侵攻し、民間人を中心に約1200人を殺害し、乳幼児、女性、高齢者、兵士を含む多くの人質を拉致したことで勃発した。
「停戦終了後、われわれはただちにガザでの攻撃、ガザでの作戦に復帰する」と、イスラエル軍ヘルツィ・ハレヴィ参謀総長は兵士たちに語った。
イスラエルの指導者たちは、過去16年間ガザを支配してきたハマスが壊滅されるまでは攻撃を止めないと延べてきた。イスラエル政府高官は、軍事的圧力だけが人質を帰還させる手段だと主張してきた。しかし、政府は人質の家族から、残りの捕虜の解放を優先するよう圧力を受けている。
ハマスが運営するガザ政府の保健省によれば、イスラエルの攻撃によって1万3300人以上のパレスチナ人が死亡したという。女性と未成年者が死者の3分の2を占めている。この数字には、通信が途絶えた北部の病院から伝えられるはずの最新の数字は含まれていない。
AP