ベツレヘム:カデル・ハリリヤ牧師にとって、通常であれば、それは喜びの瞬間である。クリスマスのパジャマを着た彼の幼い娘たちがプレゼントを開ける時の興奮や笑い声、そしてキスの時間だ。しかし、今年は、ハリリヤ師はクリスマスのことを考えただけで罪悪感で重くふさいだ気持ちになる。
「私は苦闘しています」と、ニューヨークの聖ヨハネ福音ルーテル教会のパレスチナ系米国人のハリリヤ牧師は語った。
「パレスチナ人の子供たちが避難シェルターに詰め込まれて眠る場所も無く苦しんでいるというのに、どうして私がクリスマスを祝ったり出来るというのでしょうか?」
数千マイル離れたベツレヘムの近郊では、スーザン・サホリさんが、オリーブの木で作られたクリスマスの飾りをオーストラリアや欧州、北米の家庭に届けるために職人たちと働いていた。
しかし、サホリさんはお祭り騒ぎの気分ではない。「私は、パレスチナの苦しんでいる子供たちや現在進行している殺戮劇を見ている内に心が折れてしまいました」
伝統的には陽気な喜びの季節ではあるが、数多くのパレスチナ人キリスト教徒は、イスラエル・ハマス戦争の渦中で、ベツレヘム内外において、無力感や苦痛、そして不安に苛まされている。
悲嘆に暮れる人々もいれば、戦争の終結を求めて陳情運動を行人々も、親族の安全を確保しようと奔走する人々も、クリスマスの希望のメッセージに慰めを見出そうとする人々もいる。
占領下のヨルダン川西岸地区では、手工芸品販売団体「ベツレヘム・フェアトレード・アルチザンズ」の事務局長であるサホリ氏が平和と正義を祈っている。
サホリ氏は自身が安全であることに感謝しているが、状況は変わり得るのではないかと危惧している。彼女は、また、怒りを抱いてもいる。
平和な時でさえあれば、ベツレヘムのクリスマスは比類の無いものだとサホリ氏は感じている。イルミネーションで飾られた街路を滝のように流れ溢れる歌、飾り付けられた市場、そびえ立つクリスマスツリーと写真を撮る子供たちや家族連れ、観光客たちの熱気、それがベツレヘムのクリスマスなのだ。
現在は、静かで陰鬱な雰囲気にすべてが包まれている。サホリ氏が昨年参加したクリスマスツリーの点灯式は中止となってしまった。
エルサレムの教会の責任者たちは、教徒たちに、「不要な祝祭的な活動」を控えるように呼びかけた。責任者たちは、聖職者たちと教徒たちに、クリスマスの霊的な意味に注意を向けるよう勧め、そして、「私たちの愛する聖地に公正で永続的な平和が訪れるように熱烈な祈り」を捧げるよう求めた。
ガザ地区においてイスラエルが継続している攻勢で、膨大な人数のパレスチナ人たちが殺害されている。
クリスマスの数日前、エルサレムのラテン総主教庁は、ガザ地区の教会敷地内でキリスト教徒の女性2人がイスラエル軍の狙撃兵に射殺されたと発表した。
ハリリヤ牧師は、苦悩しながらも、取り乱す人々を安心させようと努めている。
「とても目を向けていられません。自分自身の仕事をする事がこの上なく難しいのです」と、ハリリヤ牧師は語った。
「人々は、苦しみながら、私たちに共に歩んで行くことを求めています」
ハリリヤ牧師は、ヨルダン川西岸地区にいる家族たちのことを心配している。旅行のキャンセルが相継ぎ、観光業が大打撃を受け、ハリリヤ牧師のホテル勤務の兄は収入の道を断たれてしまった。
ベツレヘム近郊の町出身のハリリヤ牧師は、自身の娘たちへのプレゼントを控え目にして、浮いたお金をガザ地区の子供たたちの支援に充てることになるだろうと語った。
多くの米国人はキリスト教徒のパレスチナ人がいることを知らないとハリリヤ牧師は語り、中には、イスラム教からの改宗かユダヤ教からの改宗か尋ねる人もいると述べた。
ハリリヤ牧師は、そうした米国人には、「クリスマスイブに『ああベツレヘムよ』を歌う時は、私の故郷でイエス・キリストが生れたことを思い出してください」と話す。
米国務省が2022年に発表した「世界における信教の自由についての報告書」によると、ヨルダン川西岸地区とエルサレムには5万人のパレスチナ人キリスト教徒が居住していると推測されている。
同報告書は、ガザ地区には約1,300人のキリスト教徒が居住していると述べている。キリスト教徒のイスラエル市民もいる。数多くのパレスチナ人キリスト教徒が難民コミュニティで生活している。
ボルチモア在住の小説家であるスーザン・ムアディ・ダラージ氏は、パレスチナ人キリスト教徒は消え去ってゆくパレスチナ人の多様性を体現しているのだと語った。「私たちたの存在は…私たちから人間性を奪うために用いられる固定観念に抗っています」
ダラージ氏は、今年のクリスマスにおける安らぎにとって家族の集まりこそがさらに大切になっっていると語った。
「周囲の他の誰もが日々の仕事を平常進行させているのに、自分の人生だけが停止してしまっているかのように感じられるディアスポラの状態では、特に、…家族の集まりが大切なクリスマスになるでしょう」
ハイファ在住のパレスチナ系イスラエル人のワディ・アブナッサー氏は、自身の属するキリスト教徒コミュニティの多くの人々が、物悲しい雰囲気とクリスマスの真意のバランスを取ろうと試みていると語った。
「イエス・キリストは暗闇の中に現れたのです」、そしてクリスマスとは「希望が無い時に希望を与えてくれるものなのです」と、ハイファのカトリック教会の元広報担当者であるアブナッサー氏は語った。「現在、私たちは以前にも増してこのクリスマスの精神を必要としています」
それは容易なことではなかった。
「イスラエル国民として、私たちはユダヤ人の同国人たちの苦痛を感じています」と、アブナッサー氏は述べた。
「パレスチナ人として、私たちはパレスチナの兄弟姉妹の苦痛を感じているのです」
ベツレヘムの福音ルーテル・クリスマス教会のムンター・アイザック牧師は、日曜日の礼拝中に涙が溢れると語った。数多くの人々が不安を感じ、荷物をまとめて去って行った人たちもいるという。
アイザック牧師は、停戦を訴えるためにワシントンに赴いたグループの一員だった。
「包括的で公正な和平こそがパレスチナ人にとってもイスラエル人にとっても唯一の希望です」と、ベツレヘムで指導的立場にあるキリスト教聖職者数人の署名のある書簡には書かれていた。この書簡は、米国のジョー・バイデン大統領宛で、停戦のための協力を同大統領に求めていた。
書簡に署名した人々は、パレスチナ人、イスラエル人を問わず、すべての犠牲者を悼むと述べていた。
「私たちは継続的で包括的な停戦を求めています。余りにも多くの人々が死亡しています。余りにも徹底的な破壊が行われました…これが、私たちのクリスマスの呼びかけであり、祈りです」
過剰な武力行使を行っていると非難を受けているイスラエルは、戦争の目的はハマスを壊滅させることにあるとしており、民間人を危険にさらしているとしてハマスを非難している。イスラエルとその支持国である米国も、また、ガザ地区での死亡者数、破壊の規模、退避している住民の数について増々高まる国際的な懸念への対峙を余儀なくされている。
アイザック牧師の教会では、白黒のパレスチナのクーフィーヤに包まれた幼子イエスの像が瓦礫の中に置かれたキリスト降誕の情景が展示されている。このディスプレイを作ることは、感情的で宗教的な体験だったとアイザック牧師は語った。
「私たちには殺されるすべての子供たちの中にイエス・キリストが見えるのです。そして、私たちの苦しみの中で神が私たちと一体になる経験を得るのです」
このクリスマスの季節、ガザ地区に長年住んでいるスヘアル・アナスタスさんは、罪悪感に苛まされている。アナスタスさんはガザ地区での戦争から逃れることができたが、他の人々は出来なかったのだ。
ヨルダン系パレスチナ人のアナスタスさんは、他界した夫の出身地であるガザ地区に住んでいた。
アナスタスさんと16歳の娘は、1ヶ月以上にわたって、ガザ地区内のカトリック教会の学校に退避していた。
退避中の人々の滞在場所となっていたガザ地区のギリシャ正教会の施設に対してイスラエル軍が空爆を行った時、アナスタスさんにとって特に死が間近に感じられたという。イスラエル軍は、そのギリシャ正教会の近傍のハマスの司令部を標的としていたと発表した。
「『翌朝、自分は目が覚めるのだろうか?』と考えながら眠りについていました」と、アナスタスさんは語った。
アナスタスさんは、自動車を運転し、歩き、ロバが引く荷車に乗り、タクシーを使って、国境へと移動した。それは、恐怖に満ちた旅だった。
「どこもかしこも空爆を受けていました」とアナスタスさんは語った。友人のまだ幼い娘は、「私たちは死んでしまうの?」とずっと尋ね続けていたという。
ガザ地区へ戻る事を望んでいるアナスタスさんだが、今後の状勢も、自宅がまだあるのかどうかも定かではない。
ガザ地区とその200万人以上の住民の将来をめぐる数多くの問いの中に、この小さなキリスト教コミュニティが存続するのか否か、そしてそれがいつまで存続し得るのかという問いもある。
依然としてガザ地区の内部に残っている人々の中には、サミ・アワドさんの親族も含まれている。パレスチナ系米国人のアワドさんは、米国のパスポートを持っていない親族が出国しようとしても米国の支援を受けることが出来なかったのだと述べた。
ヨルダン川西岸地区に居住しているアワドさんは、彼の親族たちは移動を繰り返しており、直近の避難シェルターはセメント製の窓の無い建造物で、他の人々と共に滞在しているようだと語った。近況を伝える時折の連絡によると、アワドさんの従兄弟は、生き延びるための唯一の食料だったツナ缶と豆がもう無くなりそうだと最近言っていたという。
その従兄弟は、「もし私たちが死んだとしても、あまり悲しまないで。私たちにとって死ぬことはむしろ有難いことなのだから」と言ったことがあるとアワドさんは語った。
また、ある時には、アワドさんの従兄弟は、「私たちを助けて。私たちを外に出して」と叫んだのだという。
「無力感で完全にいっぱいです」とアワドさんは語り、いつ悪い知らせが届くかもしれないという思いに戦々恐々としていた。
高齢の叔母や叔父を含む彼の親族がオーストラリアのビザを得られたことは希望の燭光となったが、出国に必要なリストに親族たちの名前は記載されていなかったという。
クリスマスには、「私たちは他の日と同じように起床し、ニュースを見て、イスラエル軍が何人を殺害したのかを確認していることでしょう」と、アワドさんは語った。
アワドさんは、末娘が熱望するまで、クリスマスツリーを飾ることを考えていなかった。
そして、今、アワドさんの住居にはクリスマスツリーが立てられている。金色と赤色の飾りが取り付けられたそのクリスマスツリーの上部には、赤と黒、そして白と緑のパレスチナ旗が取り付けられている。
AP