

ジャバル・アル・サヒール、シリア:長年にわたる戦争、干ばつ、経済危機の末、オマー・アブデル・ファタハさんはシリア北東部にある自身の農地を貸し出し、より安定した職に就いて家族を養うことを余儀なくされた。
「自分の土地でほかの誰かが働いているのを見ると胸が痛みます」と、50歳のアブデル・ファタハさんは語る。彼はシリア・ラッカ県のジャバル・アル・サヒールで30年にわたり小麦、綿花、野菜を栽培してきた。
家計をやりくりして8人の子どもたちの教育費を捻出するためには農業をやめるしかなかったと、彼は語り、灌漑などの「農業のコスト上昇にもはやついていけない」と嘆いた。
農業はかつてシリア北東部の経済の主柱だった。
2011年まで、この地域はシリアの穀倉地帯だった。だが、平和的デモに対する政府の弾圧をきっかけにシリアは内戦に突入し、50万人以上が命を落とし、数百万人が故郷を追われた。
追い打ちをかけるように、気温上昇と干ばつに代表される気候変動の影響、そしてコストの高騰が農業生産に大打撃を与え、農業で生計を立てる家族は苦境に陥った。
アブデル・ファタハさんはクルド準自治政府が運営する揚水施設の仕事を得た。
月収は約70ドル。彼はさらに副業として、小さな店で工具などを売って生活費の足しにしている。
彼の親戚にも同じように農地を貸している人が何人かいるほか、危機的な経済状況からシリアを去った人もいると、アブデル・ファタハさんは語る。
彼はクルド準自治政府と国際農業機関に、この地域の農民に「支援と融資」を提供してほしいと訴える。
「農業を救い、農民を助け、農地に戻るよう促すには、それしか方法はありません」と、彼は言う。
気候変動
ラッカ県のどこを見渡しても、農民たちがジャガイモやトウモロコシを収穫する耕作地の隣に、耕作放棄地が広がっている。
シリアは12年以上にわたり内戦状態にある。ラッカはかつてダーイシュが残虐な「カリフ支配」を敷いた中心地だが、2017年に街は解放された。
カータニヤーの町で出会った55歳のジャセム・アル・ラシェドさんは、農業は30年にわたって自身の唯一の収入源だったが、いまや「損失」になってしまったと語る。
以前は子どもたちが農作業を手伝ってくれたが、今は彼一人で作物の世話をしているという。
「子どもたちの2人は家畜取引の仕事をしていて、2人はヨーロッパに渡りました。残りの3人は交通警察と治安部隊で働いています」と、彼は言う。
「農業はもはや、かれらにとっていい仕事ではありません。ここ何年も干ばつが続きましたから」
昨年11月、学術団体「世界気象アトリビューション」は、人為的気候変動による気温上昇が原因で、シリアと隣国イラクでは干ばつの発生確率が約25倍になったと発表した。
スハイル・ザックート氏は、駐ダマスカスの赤十字国際委員会の広報担当者だ。
ザックート氏は以前、AFPの取材に対し、戦争と気候変動により「シリアの農業生産は過去10年で約50%減少した」と語った。
国の北東部の片隅で、40歳の元農家ファルーク・モハメドさんは、ハサカ県タルハミスにある耕されていない自身の土地を見つめる。
現在は教師としてクルド準自治政府のもとで働く彼は、離農は「生計を立てるためです。それ以上でもそれ以下でもなく」と語る。
モハメドさんもまた、地域当局が農民を支援し、「まだ残っている農地を守る」ために対策を講じることを期待する。
「農民は長い干ばつと燃料価格の上昇に苦しんできたのです」と、彼は言う。
10年以上にわたる内戦でシリア経済は荒廃した。長時間停電が日常化しているため、電力は発電機が頼りだが、燃料不足も頻発する。
AFPの取材に応じた農民たちは、種子や肥料の購入代金の支払いに追われていると漏らし、ソーラーパネルを設置して揚水ポンプを動かす人もいると語った。
クルド準自治政府の職員であるレイラ・サルハン氏は、干ばつやコストの上昇といった要因のために農業が衰退しつつあることを認めた。
「気候変動によって降雨パターンが変化し、シリア北東部では砂漠化が進行しています」と、サルハン氏はAFPに語った。「これらの要因が農業を脅かしています」
再びラッカ県。農家のアドナン・イブラヒムさんは、子どもたちは畑をあとにして、「安定収入を得る」ためにクルド治安部隊に加入したと話す。
彼は家のそばに置かれた使われていない農機具を指差し、気候変動とコスト上昇の影響を嘆いた。
56歳のイブラヒムさんは、消えない紛争の影もまた、子どもたちの決断に影響を与えたと語る。
「土地を耕すのが怖いんです」と、彼は言う。
「戦争がいつ始まってもおかしくないですし、そうなれば戦闘機が農地を爆撃するかもしれません。安定した職に就いたほうがいいですよ」
AFP