
ガザ地区:息が詰まるような暑さのテントや爆撃で破壊されたモスクの中で、日曜日のガザ住民はイード・アル・アドハーの祝日を迎えた。
「喜びはありません。私たちはそれを奪われたのです」と、ガザ地区南部のハーン・ユーニスでテント生活を送る57歳の避難民女性マラキア・サルマンさんは語った。
ガザの人々は、世界中のイスラム教徒と同じように、アラビア語で「犠牲の祭り」を意味するこの祝日には、通常羊を屠り、その肉を貧しい人々に分け与えた。
また、親たちは子供たちに新しい服やお金を与えて祝う。
しかし今年は、ガザの大部分を壊滅し、包囲された領土の240万人のほとんどを避難させ、飢饉の度重なる警告を引き起こした8ヶ月以上の壊滅的なイスラエルの作戦の後、イードは多くの人にとって悲惨な日となっている。
「私たちは本当に死につつあり、子どもたちは壊されてしまいました」
彼女の家族は、ハマスが10月7日にイスラエル南部を攻撃した後に始まった戦闘の焦点となった、最南端の都市ラファから避難している。
軍部は日曜日の朝、ガザ住民への切実に必要とされる人道的援助を容易にするため、ラファ地域のルート周辺での「軍事活動の戦術的一時停止」を発表した。
AFP通信によると、イスラエル軍は「ガザ地区南部での敵対行為は停止していない」と強調したが、夜明け以降、空爆や砲撃の報告はなかったという。
戦闘が束の間休息したことで、礼拝者たちは休日にはめったにない穏やかな時を過ごすことができた。
イスラエル軍の砲撃で大きな被害を受けたガザ市の歴史的なオマリ・モスクの中庭では、多くの人々がイード・アル・アドハーの朝の祈りのために集まり、瓦礫の山の横に擦り切れた祈りのマットを敷いていた。
祈りの音は、破壊され廃墟と化した街の通りを伝わった。
「今朝から、銃声も爆撃もなく、急に平穏になりました。不思議な感じです」と、ガザ市に住む30歳のハイサム・アル・グーラさんは語った。
彼は、この一時停止が恒久的な停戦が近いことを意味していることを期待した。
戦争で破壊された領土のいくつかの地域、特にガザ・シティでは、破壊された建物や家屋の瓦礫の山を背景に、若い少年たちが道端の店で香水やローションなどを売っている姿が見られた。
ガザ・シティのメイン・マーケット通りでは、多くの行商人が傘をさして灼熱の太陽から身を守りながら日用品を売っていた。しかし、買い手はほとんどいなかった。
食料品やその他の品物は、通常の4、5倍の値段に達することもあるが、休日の伝統を守ろうとする人々は、まだそれらを買う余裕がある。
ハーン・ユーニスでは、避難民のアブドル・ラウフさんが4,500シェケル(1,200ドル)で生け贄の羊に使った。つまりほとんどのガザの人々にとっては小金持ちである。
「このような儀式を行い、避難民キャンプの子どもたちに喜びと幸福をもたらすために、高値にもかかわらず、羊を買おうと決心しました」と、ラファの自宅から避難してきた60歳の彼は語った。
「悲しみ、激しい痛み、苦しみがあるけれど、私は違う種類の一日を過ごすことにこだわったのです」
10月7日のハマスの前代未聞の攻撃の後、史上最悪のガザ戦争が始まった。
イスラエルの報復攻撃によって、ガザでは少なくとも37,337人が死亡した。
多くの人々にとって、戦闘が停止しても、失われたものを取り戻すことはできない。
ガザ北部のジャバリア難民キャンプに住むウンム・モハメド・アル・カトリさんは、「私たちは多くの人を失い、多くが破壊されました」
「このイードはまったく違うものです」と彼女は言い、多くのガザ市民が、戦争で殺されたり、家を追われたりした愛する人たちなしで休日を過ごすことを余儀なくされている。
悲嘆に暮れる家族は日曜日、墓地やその場しのぎの埋葬場所に集まり、木の板が墓の目印となった。
「私はここで安らぎを感じます」とハリル・ディアブ・エスビアさんは2人の子供が埋葬されている墓地で語った。
頭上でイスラエル軍の無人偵察機が絶え間なく鳴り響くなかでも、墓地を訪れる人々は「私たちが置かれている大量虐殺と死と破壊から解放された気持ちになれる」と彼は語った。
同じくラファからハーン・ユーニスのテント村に避難しているハナア・アブ・ジャザールさん(11歳)は言う: 「(イスラエルの)占領が子どもや女性、お年寄りを殺しているのを目の当たりにしているんです。どうやってお祝いすればいいの?」
AFP