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「すべてを失った」と父親は言う。レバノンから逃れたセネガル国民が本国送還

レバノンのベイルート南部郊外に対するイスラエルの空爆の余波で、被害を受けた場所で消火活動にあたる民間防衛隊員(2024年10月20日) (ロイター)
レバノンのベイルート南部郊外に対するイスラエルの空爆の余波で、被害を受けた場所で消火活動にあたる民間防衛隊員(2024年10月20日) (ロイター)
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20 Oct 2024 07:10:44 GMT9
20 Oct 2024 07:10:44 GMT9
  • 足の骨折を負ったハシェムさんの娘マリアムさん(11歳)は、政府が手配した飛行機でダカールに移送された117人のセネガル人の1人であった

ダカール:フセイン・ハシェムさんは、レバノンでの紛争激化から逃れる人々を本国送還する飛行機の中で、負傷した娘を抱きしめた。14歳の息子は一緒にいない。息子は自宅が爆撃された際に死亡したという。

イスラエル軍がヒズボラに対する攻撃を拡大し、レバノン南部とベイルートの南部郊外を空爆する中、足の骨折を負ったハシェムさんの娘マリアムさん(11歳)は、政府が手配した飛行機でダカールに移送された117人のセネガル人のうちの1人であった。

「私はすべてを失った。息子を失った。家も失った。夢もすべて」と、レオポル・セダール・サンゴール国際空港の外で、土曜日の夜遅くに家族たちが愛する人たちと再会を果たした感動的な場面で彼は語った。

「14歳半になる息子が、突然姿を消した。10分前まで彼と話をしていたのに。『もしもし?』と彼が言うので、『父さん、迎えに来てくれる?』と私が言うと、『うん』と彼が答えた。それから10分後、だれかが私に電話してきた。『もう家も息子もなくなった』と。」

セネガルにはレバノン系ディアスポラのコミュニティが存在し、レバノンとパレスチナの両国と歴史的なつながりがある。

「セネガル政府は、もちろん、イスラエル軍によるレバノンへの爆撃、民間人への爆撃、インフラの破壊を非難している」と、同国のヤシン・ファル外相は土曜日の夜、ロイター通信のインタビューで語った。

彼女によると、レバノンには約1,000人のセネガル人がいたが、帰国便が出る前に自らの手段で出国した者もいるという。

また、ファル外相は、1975年にセネガルが国連パレスチナ人民の不可譲の権利委員会の議長を務めたことにさかのぼる、自国とパレスチナ人との長年にわたる関係についても強調した。

「私たちは、世界が目の前で起こっている大量虐殺を眺めていることに非常に失望しています。子どもたちが殺され、頭を撃たれ、病院が爆撃され、病気の人が避難できず、戦っていない難民キャンプの人々、つまり民間人が傷つけられ、殺されているのです」と、彼女はガザ地区でのイスラエルとハマスの戦いについて述べた。

「だから、セネガルは他の国々と共に、このことを強く非難し、ありのままに表現しています。それはジェノサイドです」と述べた。

イスラエルは、南アフリカが世界裁判所に提訴した件を含め、ジェノサイドの非難を強く否定している。

イスラエルは、2023年10月7日のパレスチナのハマス武装勢力による攻撃を受けて、自衛のために行動していると主張している。ハマスの攻撃により、イスラエルの集計によると1,200人が死亡し、約250人が人質となった。この攻撃をきっかけに、ガザ地区からレバノンにまで広がった紛争が勃発した。

土曜日の早い時間には、デモ参加者がダカール市内を行進し、ガザ地区とレバノンにおけるイスラエルの行動に抗議し、拡大する中東紛争の停戦を求めた。

ロイター

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