レバノン、ベイルート:国境を越えて広がったシリアの数十年にわたる残忍な支配に苦しめられてきたレバノン国民の多くは、長年の指導者バッシャール・アサド氏の失脚は「神の正義」であるとしながらも、彼に責任を取らせたいと考えている。
反体制派が13年間の戦争の末に追い落としたアサド大統領とその息子バッシャールは、約30年にわたってレバノンを支配下に置いていた。
シリア軍は1976年、前年から始まったレバノン内戦を終結させるはずのアラブ軍団の一員としてレバノンに侵攻した。
しかし、実際には軍事的にも政治的にも圧倒的な力を持ち、レバノン生活のあらゆる側面を支配するようになった。
シリア軍がレバノンから撤退したのは、ラフィク・ハリーリ元首相が暗殺された後、大きな圧力がかかった後の2005年になってからだった。この暗殺は、シリアとシリアの同盟国ヒズボラによるものとされている。
2022年、国連の後援を受けた裁判所は、この犯罪によりヒズボラの2人のメンバーに不在のまま終身刑を言い渡した。
「たとえ処罰がなくても、神の正義は果たされた」と、ラニア・ガネム・ガントゥース氏は言う。彼女の父親であるアントワーヌ・ガネム氏は、2007年に東ベイルートの自宅近くで起きた自動車爆弾テロでシリア軍に殺害されたと彼女は主張している。
「私たちは、これらの犯罪を犯した者たちにこの世で罰を受けさせたいのです」とガントゥース氏は語った。彼女の父親は、シリアの存在に反対するレバノン・キリスト教・カタエブ(ファランジュ)党の議員であった。
ガントゥース氏は、アサド氏の失脚は「素晴らしい日」だったと述べたが、「喜びと悲しみ」の間で心が引き裂かれるとも語った。
「父の死は大きな損失であり、とても寂しく思います」と彼女は述べた。また、「50年にわたる抑圧の後に」アサド一族の支配が終焉を迎えたことを「嬉しく思います」とも付け加えた。
ザヘル・エイド氏は、2007年に自動車爆弾テロで父親のワリド・エイド氏が暗殺されてから17年が経ち、同様の意見を述べた。
ハリーリ氏の未来運動の元議員であるエイド氏の息子も、この爆発で命を落とした。
エイド氏はAFP通信に対し、「ダマスカス政権の崩壊は、抑圧に耐えてきた母や人々の気持ちを明るくした」と語った。
しかし、「裁判官だった父と弁護士だった兄を持つ私としては、バシャール・アサドが裁判にかけられ、死刑か終身刑かその他の刑罰が下されるまでは正義は果たされないと信じている」と付け加えた。
アサド追放の夜、レバノンのテレビ局LBCIはニュース番組の冒頭で「シリア、レバノン、パレスチナを問わず、殺戮、殺人、爆発、逮捕といった最悪の犯罪を犯した者が倒れた」と発表した。
別の地元放送局MTVの空には花火が上がり、そのニュース番組ではアサド政権の犠牲者と見られる人々の写真が映し出された。
その中には、1982年に当選から1か月も経たないうちに暗殺されたバシル・ゲマイエル次期大統領、1989年に暗殺されたレネ・ムアワド大統領、1977年に暗殺されたドルーズ派指導者のカマル・ジュンブラット氏も含まれていた。
「アサドのシリアは死んだ。新しいシリア万歳。自由なシリアが誕生した」と、同チャンネルのニュース番組は報じ、「ベイルートは歓喜せよ」と呼びかけた。
司会者のマルセル・ガネム氏はその後、生放送中に「弾圧政権の崩壊」を祝してシャンパンを開けた。
「私は常に、正義は時間の問題だと考えていた」と、2005年の爆発でハリーリ氏が死亡した際に負った傷がもとで亡くなった元大臣で法務大臣のバセル・フレイハン氏の未亡人であるヤスマ・フレイハンさんは語った。
「アサドの失脚は、殺害されたり、脅迫されたり、拷問されたりしたすべての人々に正義をもたらす」と彼女はAFPに語った。
ベイルートのサッシン広場では、ナッシブ・イブラヒムさん(76)が、シリア軍がこの地域を爆撃していた1978年の日々を振り返った。
アサドの失脚は「私の人生で最高の一日だ」と彼は語った。
「彼は私たちを屈辱しようとしたが、彼は逃げ出し、自らを屈辱したのだ」
AFP