
ザアタリ難民キャンプ(ヨルダン):彼らは、シリア人のための世界最大の難民キャンプであるザアタリで何年も暮らしてきたが、バッシャール・アサド前大統領が追放された後でも、ヨルダンから故郷に帰りたいとは思っていない人が多い。
彼らは、13年間の内戦の後、治安状況が再び悪化することを恐れており、家が破壊されたという人もいれば、仕事を失い、帰る場所がないと感じている人もいる。
シリアでの戦争が始まって1年が経った2012年、隣国ヨルダンは紛争から逃れてきた人々を受け入れるためにザータリ・キャンプを開設した。
国連の数字によれば、現在では7万5000人が暮らしている。
当初は、乾燥した風景に点在するテントのみすぼらしい集合体だったが、時が経つにつれ、電気、水道、医療、学校が無料で供給されるプレハブ住宅の町へと成長した。
パリの有名な大通りにちなんでシャンゼリゼ通りと名付けられた通りで、60歳の商店主ユセフ・ハリーリさんはAFPに対し、家族とともに安全なザータリにとどまりたいと語った。
「戻ることはできない。すべてを失うことになるし、店を売るのも大変だ」と、建設資材を販売する店を営むハリーリさんは語った。
「シリアの状況はいまのところ良くないし、どうなるかわからない。物価は高騰しているし、武装勢力もいる。私たちの家は破壊されている」
2011年の民主化デモに対するアサドの弾圧から始まったシリアの戦争は、何百万人もの人々を国外に逃がした。
イスラム主導の連合軍が12月8日にアサドを追放して以来、数万人が帰還したが、難民のほとんどはまだ故郷に帰ることができない。
ザータリにいる難民のほとんどは、ヨルダン国境に近いシリア南部のダラア州から来た。
紛争初期には14万人が住んでいた。
キャンプにいる難民は、食料のための現金支援を受け、キャンプ外で働く権利を持っている。
2012年からキャンプに住むハレド・アル・ゾアビさん(72)は、戦争がもたらした破壊を引き合いに出しながら、「私たちはどこに帰ればいいのだろう」と語った。
「難民の財政は、誰も戻れるほど良くはないし、シリアで何が起こるかは誰にもわからない」
「私たちは、人の命に何の価値もないシリアのアサド一味の不正と暴政から逃れてきた。ここでは、自分が人間であることを実感し、ここに留まることを好む」と店主は言った。
現在までのところ、帰還を支援する経済的援助はない。
54歳で3児の父であるラドワン・アル・ハリーリさんは、シリアで知り合った人たちは皆、じっとしているように勧めてくれたという。
モスクの導師であり、ザータリで生まれた12人の子どもの祖父でもある彼は、シリアでは「誰も助けてくれないし、仕事もない」と語った。
ヨルダン当局によると、アサド政権が崩壊して以来、5万2000人のシリア人が両国を結ぶジャベール国境を通過して帰国したという。
「治安の悪化は依然として懸念材料だ。国内の一部で武力衝突が発生し、戦争残存物や不発弾による民間人の死傷者が増えている。
ヨルダンのローランド・シェーンバウアー難民高等弁務官は、
「すべての難民は祖国に戻る権利がある。しかし、いつ自発的にシリアに渡るかは、彼らの決断に委ねられる」と述べた。
国連によれば、2011年以降、ヨルダンには約68万人のシリア人が登録されたが、王国は130万人を受け入れたとしている。
ザータリにいるすべてのシリア人が帰還をためらっているわけではない。
マリアム・マサルメさん(63歳)は、夫と子どもたちは帰国を決めたという。
しかし彼女は、バラやリンゴの木が植えられた庭を見せながら、「私の故郷となったザータリを離れるのは悲しい」と語った。
モハメッド・アトメさん(50)は早く家に帰りたいと思った。
「13年間、母と兄弟に会っていない。
「ここでは敬意を持って扱われ、尊厳は保たれていた。でも、みんなの運命は自分の国に帰ることなのです」
AFP