

ハーン・ユーニス:ハマスは土曜日にガザ地区でイスラエル人人質、アイヤル・ホーン、サギ・デケル・チェン、サーシャ(アレクサンダー)・トルファノフを解放し、イスラエルは見返りとしてパレスチナ人受刑者および拘禁者369名を解放した。仲介者の尽力により、脆弱な停戦の崩壊は回避された。
イスラエル人3人は、ハーン・ユーニスの現場で、自動小銃を携行したパレスチナのハマス武装勢力が両側に立つ中、ステージに導かれ、その後イスラエル軍によってイスラエル国内に連れ戻された。
その後まもなく、解放されたパレスチナ人受刑者と拘禁者を乗せたバスが、イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区にあるオフェル刑務所を出発した。最初のバスは、パレスチナ国旗を振る人々から歓声を受けながらラマッラーに到着した。
「解放されるとは思ってもみなかったが、神は偉大だ。神が私たちを解放してくれた」と、ヨルダン川西岸地区のベツレヘム出身で、イスラエル兵殺害により終身刑を2度受けているムサ・ナワルワさん(70)は語った。
数百人の解放されたパレスチナ人受刑者や拘留者の一部を乗せたバスが、ガザ地区南部のハーン・ユーニスにあるヨーロッパ病院に到着した。窓から勝利のサインを掲げている者もいた。
数人は、15か月にわたる戦争でイスラエルの空爆と砲撃により瓦礫と化した以前、長年帰ることができなかった飛び地に戻った。しかし、ほとんどの人は、2023年10月7日のハマス主導によるイスラエル攻撃の後、捕らえられた。
停戦の第2段階では、その日拘束された251人の人質のうち、生存している人質を解放するための交渉が開始され、戦争の最終的な終結とガザ地区の再建に先立ち、イスラエル軍の撤退が完了する予定である。
アルゼンチン生まれのアイエル・ホーン(46)は、弟のエイタンと共に捕虜となった。ホーンは拘束中にかなり体重が減ったようだ。
「これで、少しは息をつくことができます。ガザでの地獄を生き延びて、我が家のアイエルが帰ってきました。今度は、弟のアイタンを連れ戻して、家族全員で本当に息をつきたいものです」と、ホーン家の家族は声明で述べた。
イスラエル人3名とパレスチナ人369名の交換により、1月19日より実施されている停戦協定の第1段階が42日間で終了する前に停戦合意が破綻するのではないかという懸念が和らいだ。
テルアビブの人質広場として知られるようになった場所では、赤十字が3人をイスラエル軍に引き渡すために向かっていると聞いた人々が歓声と涙に包まれた。
デケル・チェン(米国籍イスラエル人)、トロファンノフ(ロシア系イスラエル人)、そしてホーンと彼の兄弟のエイタンは、2023年10月7日にハマスの武装集団に制圧されたガザ国境近くのコミュニティのひとつであるキブツ・ニール・オズで拘束された。
ハマス筋によると、引き渡し場所に配備された数十人の覆面をしたイスラム教ハマスの戦闘員の一部は、10月の攻撃中にイスラエル軍から奪ったライフル銃を所持していたという。
ハーン・ユーニスの引き渡しステージでは、人質たちはヘブライ語で短い声明を発表させられ、武装勢力はホーンに砂時計と、ガザ地区に依然として残っている別のイスラエル人人質と彼の母親の写真を提示し、「(ガザ地区に残っている人質にとって)時間は尽きようとしている」と読み上げた。
トルファノフは、母親、祖母、ガールフレンドと共に拉致された。全員が2023年11月の戦闘の一時的な中断中に解放された。彼の父親は、最も被害のひどかったコミュニティのひとつであるニル・オズへの攻撃で命を落とした。このコミュニティでは、4人に1人が死亡または人質となった。
10月7日、デケル・チェン(36歳)は、妊娠中の妻と幼い娘2人を家族用の安全な部屋に残し、キブツを荒らしまわっていた武装集団と戦うために外出した。
彼は涙を流す妻のアビタルをしっかりと抱きしめ、まだ会ったことのない娘の名前がシャハール・マザル(ヘブライ語で「夜明け」と「幸運」の意)であると聞くと、満面の笑みで「完璧だ」と言った。軍が公開したビデオの中で、彼はそう語った。
これまでにイスラエル人19人とタイ人5人の人質が解放されたが、73人が依然として捕らえられたままであり、そのうちの約半数はイスラエル当局によって不在のまま死亡が宣言されている。
ドナルド・トランプ米大統領がパレスチナ人に対してガザ地区からの永住移住を呼びかけ、また、この小さな飛び地を米国に引き渡して海辺のリゾート地として再開発するよう求めたことで、停戦が続く見通しは揺らいでいる。この案はパレスチナ人グループ、アラブ諸国、そして米国の西側同盟国によって即座に拒否された。
ロイター