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ガザの高齢者、古きよきラマダンを懐かしむ

パレスチナに住む年配世代は、ナクバ以前のラマダンを懐かしく思っている。(AFP通信/ファイル写真)
パレスチナに住む年配世代は、ナクバ以前のラマダンを懐かしく思っている。(AFP通信/ファイル写真)
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07 May 2020 06:05:40 GMT9
07 May 2020 06:05:40 GMT9

Hazem Balousha

ガザ市:過去のラマダンについて尋ねられたAzeezah Nasrallahさんは「また昔に戻れますように」と答えた。彼女が語っている間、背景にはエジプトの歌手の故Umm Kulthumのヒット曲のひとつが流れていた。

「過ぎ去りし日々がもっとも美しく思い出されます。善と祝福と心の安寧をもたらしてくれる、ラマダンの聖なる月はとくにそうです」と彼女は述べた。

80歳のNasrallahさんは、一家共々強制退去を余儀なくされた1948年のナクバ(大厄災)以前の、Sarafand Al-Amar村での幼少期の生活について克明に覚えている。

ナクバの時、彼女は8歳の女の子だった。今年のラマダンの中間時点が、ちょうどナクバの72周年と重なる。

「ラマダンの月は一年でもっとも美しい月のひとつでした。私たちはとても幸せにそれを待ち望んでいました。子供たちはとくにそうでした。今とは雰囲気が違います。暮らしは今よりシンプルでしたし、人々も今よりも優しかったです」とNasrallahさんは言う。

彼女はラマダンの数日前になると、人々が水を入れるための陶器の瓶を用意したり、スフール(断食前の食事)のためのチーズを手作りしたりしていたのを覚えている。裕福な村人は、貧しい人々に小麦粉、レンティル、豆、野菜などを与えた。またラマダンの初日には、人々が聖なる月に必要なものを購入できるよう喜捨を行った。

Nasrallahさんは女性たちがイフタール(断食後の夕食)のテーブルを用意するため集まっている姿や、熱心に食糧を分け与え合い、交換し合う愛と共感に満ちた人々の姿を思い出す。

彼女の好物はラマダン中に頻繁に調理される「ジリシャ」(小麦を砕いて肉と一緒に炊いたもの)という料理だ。裕福な家庭が調理し、親戚や近所の人たちに配られた。

Sarafand Al-Ammar村は大きくはなかったが、「とても祝福された」村だったとNasrallahさんは言う。 村民は皆友好的で、まるで家族のように苦楽を共にしていたと言う。

ナクバの時、村の住民は2000人に満たなかった。祈祷の時刻を告げる声がやっと村全体に届くか届かないかの、小さなモスクが一つあるだけだった。

Nasrallahさんは述べた。「イフタールの時間になると、男の子も女の子も、村中の子供たちがモスクの近くに集められたものです。祈祷の時刻を告げる声が聞こえるやいなや、私たちは歓声を上げて、街路や路地を、大声を上げながら駆け抜けました。そうすれば大勢の人々がイフタールの時間だとわかるからです。ラジオを持っていて、それで祈祷の時刻やニュースを知ることができる人も一部にはいました」

「男性のための宴会やイフタールの集会は、家族の間で行われました。彼らは、日が暮れて夕刻のお祈りやタラウィーフのお祈りの時間が来るまで、そこで座っていました。その後、宗教的なタワシーフを観賞しました。ですが、今の世代のように朝方まで起きているということはありませんでした。夜は起きていて、日中ずっと寝ているというようなことはなかったのです」と彼女は言った。

ナクバ後の痛みや苦しみにもかかわらず、シンプルな生活と馴染みのある人々に変化はなかった。だが、年月の経過とともに、状況や習慣に変化が見られ、ラマダンの到来の喜びさえも、過去と同じというわけにはいかなくなった。

Nasrallahさんの長男のAhmedさん(58歳)は、母親と同意見だ。「年が経つにつれ、美しい習慣や伝統の多くが失われていきます。まるで発展と技術の呪いかのようです」と言う。

「私たちは、家族の集会やつつましく過ごす夕方を懐かしく思います。そうしたものは、テレビゲームや、ラマダン中にドラマと映画をひたすら流す衛星放送にとってかわられています」

「昔の日々は見る影もありません。人々の健康さえも後退しています。食べ物や飲み物も健康的で亡くなり、時代はスピードを求め、楽しみが失われています」と彼は述べた。

「私たちは若かった頃、ラマダン中に手作りのランタンを作って、街中にロウソクを灯すのが何よりも楽しみでした。歓声をあげながら街道や路地裏を練り歩き、ラマダンを祝いました」

彼は述べる。「今日のラマダンでは、もう子供たちが集まったり、単純な遊びに興じたりすることはありません。ランタンすらもが中国製で、外見は綺麗ですが、心がこもっていません。モスクはたくさんありますが、人々の宗教的価値観や行動の指針となる価値観は大きく後退しています。ラマダンはもはや、宗教的な儀式というよりも、ショーのようなものとなっています」

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