
ハゼム・バルーシャ
ベイトゥ・ラヒア/ガザ地区:ガザ地区での血生臭い紛争から6年が過ぎたが、パレスチナのセイバー・アブ・ナールさんは、イスラエルによるアルナダ北部地域への空爆で自宅を失った後、いまだに住宅を転々としている。
この紛争の間に数百人が自宅を失ったが、タクシードライバとして働いているアブ・ナールさんも、その1人だった。
アブ・ナールさんは、自宅再建を夢見ている。
「家賃の高さに参ってしまい、昼夜を問わず、家に戻ることを夢見ています」と、43歳のアブ・ナールさんは語った。
国際連合開発計画と連携している国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によれば、2014年7月8日から8月26日まで続いたイスラエルのガザ侵攻により、12,000戸の住宅が破壊され、160,000戸が一部損壊させられ、そのうち、6,600戸が居住不可能となったという。
非政府組織、People’s Committee to Face the Siege(包囲に直面する人民委員会)によれば、1,500戸以上の住宅が未だに再建されず、こうした住宅所有者はホームレスだという。
7人家族を養っているアブ・ナールさんは、ガザ地区北部のジャボールヤ難民キャンプの質素な借家で暮らしている。この借家の前の住人は、推定117ドルの家賃を毎月支払うことができなかったので、ここを退去せざるを得なかった。
イスラエル侵攻で破壊された他の住宅所有者と同様に、再建された自宅に戻れるまで、家賃補償手当としてUNRWAから資金援助を受けていた。
しかし、UNRWAは 2018年以来、この手当の支給を打ち切っている。アブ・ナールさんは支給打ち切りの決定に同意できず、約束を破ったとして、パレスチナの権力者たちを非難した。
「UNRWAは嘘をついています。パレスチナの派閥は私たちのことを気に掛けていないので、私たちは果てしなくホームレスに近いのです」と、アブ・ナールさんは語った。
「子どもたちに食べさせるものを十分持たないで、帰宅する日が何日もあるのです。壊滅的な経済状況を考慮すれば、これでどのようにして、子どもを育て、家賃を支払うのでしょうか」
2014年のガザ侵攻以来、ガザ地区はハマス、他の派閥、そしてイスラエルの間の紛争に耐えてきた。
ネビン・バラカットさんも、アブ・ナールさんと同様に幸せとは言えない。今年の初めに、新しいアパートに入居できたが、この紛争の痛ましい影響を未だに感じている。紛争で、バラカットさんは自宅を失った。
アルナダ地域のアパートは破壊され、バラカットさん、夫のラミ、5人の子どもたちは学校の避難所に身を寄せた。しかし、滞在中の教室にイスラエルの砲弾が当たり、夫は死亡し、子どもたちは負傷した。
子どもたちを新しいアパートに移せて、バラカットさんは幸せだったが、「紛争の悪夢」が未だに、バラカットさんを動揺させている。別の紛争が起きれば、次はそれが悪夢となることを、バラカットさんは危惧している。
「私は37歳で主人を亡くしました。私は穏やかに暮らし、子どもたちを育てたいのです」と、バラカットさんは語った。
アルナダ地域の破壊された住宅所有者委員会の一員、オサマ・ドラビエさんは、次のように語った。「この地域の破壊された住宅の大半が、再建されてきたのは事実ですが、新たな紛争による人災が、またやって来ることを、住民は恐れているのです」
定年退職した公務員、ドラビエさんは家族と離れ離れになって6年後、今年の初めに、新しいアパートに戻って来た。
「住宅が破壊されたことにより、私たちは多大なる苦しみを受けてきました。この再建された住宅を破壊するような新たな紛争には、もう一切耐えることはできません」と、ドラビエさんは語った。
この前の紛争の傷跡は、私たちの体、住宅、工場、街にまだ目に見えて残っているのです」
People’s Committee to Face the Siege(包囲に直面する人民委員会)のジャマル・アル・クダリ委員長は、2014年の紛争の後、1,500戸以上の住宅がまだ再建されていないと語った。
500カ所以上の工場も、紛争中に深刻な被害に遭った、とアル・クダリ委員長は語った。
「ガザ地区の現実は困難で、特殊で、悲劇的なままなのです」と、アル・クダリ委員長は語った。
この紛争から6年経っても、ガザ地区の生活が直面している経済の悪化、貧困、前代未聞の失業率といった脅威は、高まる一方だ。