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新郎がイスラエルで18年の刑期を終えた後、パレスチナ人カップルが結ばれる

2020年9月23日のエルサレムからの景色。イスラエルの分離壁の向こうに、イスラエルが占領するヨルダン川西岸地区にあるパレスチナの町アナタの建物が見える。(ロイター)
2020年9月23日のエルサレムからの景色。イスラエルの分離壁の向こうに、イスラエルが占領するヨルダン川西岸地区にあるパレスチナの町アナタの建物が見える。(ロイター)
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30 Sep 2020 05:09:47 GMT9
30 Sep 2020 05:09:47 GMT9
  • 自分たちの愛が最後には勝つという希望を私は決して捨てませんでした……私の話は占領地の抑圧に晒される女性たちの似たような何千もの話のひとつです。パレスチナ人新婦のジナン・サマラさん

ハゼム・バロウシャ

ヨルダン川西岸:パレスチナ人の新婦であるジナン・サマラさんが金曜日にウェディングドレスを身に着け、アブデル・カリム・ムハデルさんと結婚するとき、それは18年待つことを余儀なくされた複雑な気持ちを記念する式典となる。

というのも、新郎は日曜日についに、イスラエルのヨルダン川西岸地区占領下で宣告された刑期から解放されたのだ。

ムハデルさん(49歳)は、投獄されたときにはまだ31歳であったが、長い刑期の間、サマラさんへの愛は募るばかりだった。

そして新たに妻となるサマラさんは、ジャラマのイスラエル軍検問所で、占領下のヨルダン川西岸にあるマジド拘置所から解放された彼を、花束と優しい抱擁とで出迎えた。

「私たちの愛が最後には勝つという希望を私は決して失いませんでした。我慢強く彼を待つという決断を下すことに、少しの躊躇もありませんでしたし、家族も、私の決心を妨害することはせずに励まして支えてくれました」とサマラさんはアラブニュースに語った。

「私の話は、占領地の抑圧に晒される女性たちの似たような何千もの話のひとつです。多くの家庭には殉教者や捕囚者の妻や母がいます」と彼女は付け加えた。

ヨルダン川西岸地区中央のサルフィット市にある教育省の学校で教育指導をするサマラさんは、婚約者の投獄期間中ずっと、イスラエル当局の許可が出ればいつでも彼を訪問し、彼に大学教育を施して支えた。

彼女の励ましのお陰で、ムハデルさんは、アルクッズ大学のイスラエル研究修士号を取得した。

18年ぶりに彼が初めて自由になった最初の夜、ふたりは結婚式の計画を立てながら眠らずに過ごした。「何年も離れ離れだっただけに、ずっと自宅で一緒に過ごしていたいのです」とサマラさんは言った。

ムハデルさんは、婚約者の長年に及ぶ献身と犠牲を決して忘れることはないと述べた。「もし自分がその献身と犠牲が与えてくれたものを詰めた世界を彼女に与え返すとしても、とうてい十分にし尽くすことはできません。パレスチナの女性は常に、男性と力を合わせて占領や不正義による負担を支払います。

ただ、自由の身になり、ジナンや愛する人々に会えるのは嬉しいのですが、私の心はいまだに何千もの獄中者、占領地の刑務所で抑圧と不正義に晒されている仲間たちと共にあります」と彼は付け加えた。

イスラエルの刑務所には現在約5000名のパレスチナ人が拘束されているとされる。そこには女性や子供たちも含まれる。そして収監者たちの状態は、新型コロナウイルスの感染拡大以降悪化しているとムハデルさんは指摘した。

「再び自由の身になって占領地の拘置所から解放されることは、どんな収監者にとっても新たに出生証明書を得たのと同じ気持ちになります」と彼は言った。「刑務所は墓場のようなもので、中での時間は遅々として重いのです。何年も経つうちに収監者たちは、時間や分の感覚を失っていきます」

刑務所での最悪の瞬間は、母親の死を知らされたときだったという。「牢獄の柵が自分の心に荒々しくはめ込まれたような気持ちになりました」

結婚後に彼は、より高い学問を修めて政治経済学の博士号を取得する計画を立てている。そしてその後、刑務所にいる仲間たちの解放のために戦うつもりだ。

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