
スファクス/チュニジア:チュニジアの自宅を出て数週間後、フランスの教会で3人を殺害したとして拘束された男の家族は、AFPに対し、彼が襲撃を実行したことを信じるのに苦労していると語った。
ブラヒム・アウイサウイ容疑者の兄ヤシンさんは、フランスのエマニュエル・マクロン大統領の発言に対する怒りがイスラム教徒の間で広がる中起きた襲撃事件に対して自分の弟が責任があることが信じられない様子で、「常軌を逸している」と話した。
イスラム教を侮辱していると見なされる、預言者ムハンマドの風刺画を授業中に見せたフランス人教師が今月パリ郊外で殺害された後、世俗的な価値観および宗教を嘲笑する権利をマクロン氏は強く擁護していた。
アウイサウイ容疑者(21)は29日、南部の都市ニースで刃物を使って残忍な襲撃事件を起こした直後、警察に何度も撃たれ、重体となっている。チュニジア中部の都市スファクスで下流家庭に生まれたアウイサウイ容疑者は、この2年の間に宗教に走り、孤立してしまった、と彼の親族はAFPに語った。
「彼は祈っていました……(そして)他の人と交際したり外出したりせずに、家と仕事場を往復していました」と彼の母親は話し、白いパーカーを着た若い男性のパスポート写真を握りしめながら涙を流した。
だがその前に、「彼は酒を飲み、薬物を使っていた。私は彼に『貧乏なのに、金を無駄遣いしているのか』とよく言っていました。彼は『神がお望みになるなら、彼は私を正しい道に導くだろう。これは私の問題だ』と答えていました」と彼女は付け加えた。
チュニジアでは、2011年の革命の前は当局が宗教の実践を規制し、反対意見を抑圧していたが、2015年の暴動およびジハードを行う者による相次ぐ攻撃の後、イスラム過激派が台頭した。
治安状況は大幅に改善されたが、散発的な攻撃は今でも行われており、特に治安部隊が標的となっている。
アウイサウイ容疑者は11人兄弟の一人で、両親と一緒に、スファクスの外れにある、工業地帯の近くの、労働者階級に属する人が多く住む地域の、でこぼこ道に面した質素な家に住んでいた。
彼の母親によると、彼は高校を中退し、バイク整備士として働いていた。
お金をいくらか蓄え、彼は無認可のガソリンスタンドを開いた。それはチュニジアで見られるガソリンスタンドと同じようなものだ。チュニジアでは、ほとんどの経済活動は、公式なシステムの隅で行われている。
「私は彼に、仕事をできるようにするために1100~1200ディナール(彼がためた約400ドル)で小さな店を借りるように言いました」と彼の母親は話したが、自分の名前を言いたがらなかった。
「彼は私に、ガソリンを売る店を出したいと言いました」
既に上昇している失業率を悪化させているコロナ危機と政治危機による圧力のために、イタリアに向けて出発するチュニジア人がここ数カ月間増えており、アウイサウイ容疑者はその波に加わった。
イタリアに不法に移住したチュニジア人の数は、2011年の革命の後、過去最多となる2万人に達し、その後、激減した。不法入国者の数は2017年以降、再び増加している。
彼の兄によると、アウイサウイ容疑者は以前にも一度欧州に行こうとしたことがあり、もう一度行こうとしていることを家族に話さなかった。
イタリアに無事到着し、オリーブを収穫する仕事を見つけた後、彼はフランスに向かった、と彼の兄は付け加えた。
「イタリアより仕事がしやすいし、イタリアは人が多すぎるからフランスに行った、と彼は言いました」とヤシンさんは話した。
家族によると、彼は襲撃の前日の10月28日の夜に電話を掛け、フランスに到着したばかりだと話したという。
信じられない、どうすればフランスに到着して数時間後にニースで襲撃を実行することができるのか理解できない、と彼らは話した。
多くのチュニジア人が、イスラム教に対するマクロン氏の声明を非難した一方で、それは、言論の自由に関する論争に火を付けた―言論の自由は、チュニジアの2011年の革命の最も確かな成果の一つと見なされている。
AFP