
バキルハ(シリア):アブデルアジズ・アル=ハッサン氏は、シリア北西部での戦争から逃れた後、過密なキャンプに住むことを望まなかったため、代わりに家族とともに古代ローマ時代の神殿の廃墟にテントを張ることにした。
シリア反政府勢力の最後の拠点・イドリブへのロシアの支援を受けた攻撃により、昨冬、ほぼ100万人に及ぶシリア人が住む家を追われた。ハッサン氏と妻、そして3人の子供たちも、その中の一家族だ。
トルコ国境近くのバキルハの遺跡は、ユネスコ世界遺産に登録されている「シリア北部の古代村落群」の一部を成している。現在バキルハでは、ハッサン氏と家族、またやはり戦争によって家を失った他の数十人のシリア人たちが、古代ローマとビザンチンの遺跡の中で暮らしている。
ハッサン氏と家族は、2世紀に建てられた古代ギリシャの神殿の残存する3面の壁の間、壊れた柱と台座が散らばっている場所にトンネル型のテントを張っている。
彼らのテントの後ろで、洗濯物は古代の壁の間に張られたロープに干されていた。何世紀も前の石材に立てかけられたソーラーパネルが、小さな薪ストーブとその上の黒ずんだ鍋の近くで陽光を浴びている。
ハッサン氏は、特にコロナウイルスが大流行している現在、この場所は、国境沿いに新設された数多くの非公式の難民キャンプよりもはるかに優れた住み処なのだと言う。
「この場所を選んだのは、安心していられるからです。混雑した場所や病気に悩まされている人々から遠く離れていますから」と、白髪交じりのひげをたくわえたハッサン氏は語った。
シリアには、古代ローマの神殿から十字軍の城やオスマン帝国時代の隊商宿まで、数多くの遺跡がある。
多くの遺跡が、38万人以上の命を奪い、数百万人が避難を強いられた9年に及ぶ紛争の間、被害を受け、爆撃、略奪されてきた。
シリア北西部には、ユネスコ世界遺産に登録された40に及ぶ紀元1世紀から7世紀ごろの村があり、ユネスコによると、「古代末期とビザンチン時代の農村部の生活」についての貴重な資料となっている。
ユネスコはまた、神殿や教会の遺跡が点在するこれらの遺跡は、「ローマ時代の古代異教の世界からビザンチンのキリスト教への移行」を示すものだと説明している。
歴史家たちは、バキルハの「ゼウスは、後にオリーブオイルの生産が盛んになる地域にほぼ2千年前に建造されたものだと言う。
シリアの文化財博物館総局マーモン・アブドルカリム局長は、バキルハは、6世紀の2つの教会を含む、保存状態の良い非常に貴重な建造物を有していると話す。
しかし、そうした価値ある建造物の存在にかかわらず、ハッサン氏は、村の学校まで子供たちが長時間歩いて通わなければならないことなど、今住んでいる場所の不便な面に悩まされてもいる。
今の住み処の周辺には有毒なヘビや昆虫も多い、とハッサン氏は言う。
「2日前、テントの入り口近くで、毒蛇を一匹殺しました」とハッサン氏はAFPに語った。さらに「一日おきにサソリを殺さないといけないのです」
「でも、ここより良い場所はまだ見つかりません」
ハッサン氏の義理の兄弟、サレハ・ジャ氏と彼の十数人の子供たちも、昨冬爆撃で妻と息子を1人失い、難を逃れてバキルハの古代遺跡に移り住むこととなった。
恰幅の良い体に濃い色の長いローブをまとったジャウル氏は、現在64歳。「この地域を選んだのは、トルコとの国境に近いからです。何かあったら、歩いてトルコに逃げることができますので」と語る。
トルコ国境までは、直線距離でわずか4 kmだ。
「ここは人混みや騒音から遠く離れています」とジャウル氏は付け加え、難民キャンプで多くの人がひしめき合って暮らしている様子には、彼もたじろいだと言う。
ハッサンとジャウル両氏の家族は、昨年12月から今年3月の間、ジハード主義者が支配する拠点・イドリブに政府主導の攻撃が行われた際に、家を捨てて北へと脱出した。
それ以後、反政府勢力の支持者であるトルコと現政権を支援するロシアの間で結ばれた停戦協定により、戦闘はほぼ停止しているが、避難した人々の4分の1未満しかイドリブに戻っていない。
地元当局は、バキルハの遺跡に住む家族に立ち去るように求めているが、家族たちの側は、代わりとなる避難所が提供されるまで応じないとしている。
「私たちはこの場所での生活に慣れてきました」とジャウア氏は言い、雨の多い冬の始まりの時期に家族全員で再び移動することに消極的な様子であった。
「他にどこに行けばいいというのでしょう?」
AFP