


AFP、ベイルート
焼けたチーズと調理したトウモロコシの香りがレバノンの首都に漂い、デモ参加者たちを包む。首都のメイン広場を群衆が毎日埋め尽くしているこの運動は、露天商たちにとって恵みとなってきた。
イブラヒムの職業は左官だが、何万人もの群衆が政府の腐敗や無能ぶりに抗議するためベイルートのマーティーズ広場に集まっているのを見て、それが逃すべきではないチャンスであることを知った。
彼は、ゴマで覆われた丸くて香りの良いレバノンのパン「カアク」を売っている。別の日には、軸付きのとうもろこしや、クミンとレモンジュースであえたルパン豆の小皿を売る。
「失業しているよりはマシです」と、この体格の良い27歳は話した。
厳しい時期が何ヶ月も続いたと、彼は話す。この国を襲った経済危機は、建設業界にも容赦なかった。
「私たちにとって、革命は新しい生活の糧です。同時に、私たちも皆と一緒に抗議しているのです」と、イブラヒムは言う。
調子の良い日は、屋台で35~40ドルを稼ぐ。
18歳になる前に教育を受けることを諦めざるを得なかったイブラヒムは、父親が他界してからずっと病気の母親の面倒を見てきた。
「彼女には生活保護も年金もありません。私は自分の人生を医者と薬の支払いのために費やしています」と、彼は言う。
少し離れた場所にある広場では、10月17日以来レバノンを揺るがしてきた抗議運動の掛け声が鳴り響く。「革命!革命!」「国民は政権の崩壊を望んでいる」
新たなデモグループの行進が通り過ぎると、イブラヒムは隠してあった屋台を駐車場から引っ張り出し、素早く商売に戻る。
デモが膨れ上がれば警察は露天商に構っていられないと、イブラヒムは言う。
しかし、デモ参加者の集会場所が空っぽになると、治安部隊が露天商の商品を没収し、自分たちの活動が違法であることを彼らに思い出させる。
すこし先では数人のデモ参加者たちが、容器に入ったコーンや豆を売る屋台の周りに集まっていた。オーナーは自分の屋台のことを「革命ワゴン」と名付けている。
エマド・ハッサン・サードは普段、ベイルートの海辺の遊歩道「コーニッシュ」で商売に励む。
「ここにはもっと人がいるので、たくさん売れる」と、この29歳は話した。
彼は手伝いの友だちを3人連れてきていた。一人はレモンの皮をむき、一人はそれを細かく斬り刻み、もう一人は茹で鍋からとうもろこしの穂を掴んで引っ張り出す。
「抗議集会は例え一時的なものだとしても、これらの若者たちにとっては仕事のチャンスなのです」と、21歳のダナ・ザヤットはルパン豆をほおばりながら言った。
彼女の友だちのヤナ・ハルザルも同意する。「この革命によって、貧しい若者たちが働くことができました。彼らには勉強したり店舗を借りたりするチャンスがありません」
レバノンでは若者の失業が慢性化しており、失業率は30%以上に上る。同時にレバノンの人口のほぼ3分の1が貧困の中で暮らす。
露天商の中には、治安部隊から受ける処遇に不満を漏らす者もいる。その処遇は、日曜日に散歩する人たちに人気のコーニッシュのような、普段から商売を行っている場所でも同じだ。
匿名を希望するその中の一人は、これまで300ドルほどの多額の罰金を払ってきたと話した。彼の30日分の稼ぎに相当する金額である。
リスクがあるにも関わらず、水タバコの貸し出しサービスのマネージャーは巡ってきたこのチャンスに賭け、デモ参加者たちの真っ只中に店を出した。
彼はデモ参加者たちが増え、警察の注意が他に行っている夜に仕事を始める。
マーティーズ広場の駐車場のコンクリートの壁の近くに15本ほどの水パイプが並べられ、従業員たちが忙しそうに客に対応する。
彼は、「政治支配階級が去る時に」自分も去るだろうと、水タバコを吸う合間に話した。
それほど離れていない場所では、遅い時間にも関わらず体の衰えた一人の老齢の女性が地べたに座り、通り過ぎる人たちに赤いバラを売っている。
苦労が刻まれたその年老いた顔には茶色のスカーフが巻かれている。こんな遅い時間に外に出ている理由をデモ参加者から尋ねられると、そうするしかないのだと答える。
「この国は貧しい人たちを墓場へと追いやるのです」と、彼女は弱々しい声で言う。